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人に支えられていま誰かの支えに – わたしのクローバー


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藤本加寿子(元天理高校教諭)
1959年生まれ

「音訳しています」

退職して5年。久しぶりに会った方から「どのように過ごしているのですか?」と尋ねられるので、「音訳しています」と答えている。

文字で書かれたものを声に出して読む「音読」が好きだった私は、天理教点字文庫で、『天理時報』などの定期刊行物を「声」で届ける音訳活動に参加させてもらっている。

点字文庫では、点字図書や録音図書などの製作・貸し出しを通して、視覚に障害のある方たちへさまざまな情報提供を行っている。私は録音図書の製作に携わっており、仲間の皆さんと「音読」ではなく、どう読めばうまく伝えられるかという「音訳」の勉強にせっせと励んでいる。

音訳活動に私を導いてくださったのは職場の先輩で、まだ子供たちも幼いころだった。焦らなくていいからと励ましてもらいながら、細々と続けてきた活動は、次第に私の生活の大きな支えとなっていった。

いまでは、この出合いがなかったら長く教員を続けられなかったかもしれない、と思えるほどだ。30年余りも在職したことは、新任のころの私を知る方々には驚きでしかないだろう。

生徒たちに教えられ

実は、天理教のことをほとんど知らないまま奉職した私。生徒たちから教えてもらうことのほうが多かった。

授業も生徒指導もうまくいかず、落ち込んでばかりいると、「節から芽が出る」と言って励ましてくれた生徒がいた。二度目の1年生だったM君は、いまは立派な教会長だが、高校生活は私に負けず劣らず不器用だった。でも、幼いころから教えが身についていたのか、「人が何ごと言おうとも神が見ている……」と、彼の口から自然にこぼれる優しい教えの言葉に、何度もハッとさせられた。

不思議なご縁でダンス同好会の立ち上げに関わらせてもらったときは、前途多難な気配が漂っていた。しかし困ったことが起きそうなとき、いや、起きたときも、わざと明るく元気な声で「ありがたい!」と笑顔を見せてくれる生徒たち。その言葉と姿に、いつも背中を押してもらった。

不器用な私の教員生活。自信もゆとりもなく、何もかも投げ出したくなるときもあったけれど、優しい声、陽気な声に支えられ、元気をもらってきた。

落ち込むネタは尽きなかったが、点字文庫へ行くと、「今月はこの記事を読んでくださいね」と手渡してもらう文章の中で、不思議なほど、そのときの自分にぴったりの言葉と出合えた。「心の向きを少し変えるといいんだよ」と、ずっとそう言って支えられてきた気がする。

イラスト・ふじたゆい

こんな私のことを「ポジティブでいいなぁ」と言っていた夫が急逝したとき、大きなつっかえ棒をいきなり外された気がした。「ありがとう」と直接声で伝えられなかったことが、とても悔やまれた。その後もグラグラする不安定な心を、音訳の仲間たちがそっと支えてくださった。

人に支えられてばかりの私だが、たくさんの出合いとご縁に感謝しよう。明るい「声」で、誰かの見えない支えになれたらありがたいと思う。


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