『生かされて生きて』題材に映画『ひめゆり』監督が児童本化 – 話題を追って
沖縄の本土復帰から50年を迎えた今年、沖縄県ではさまざまな復帰記念事業が行われている。この節目の年に、ポプラ社から『ももちゃんのピアノ――沖縄戦・ひめゆり学徒の物語』が刊行された。本書の主人公「ももちゃん」は、ひめゆり学徒隊の一員として戦場に動員された与那覇百子さん(94歳・首里分教会教人・那覇市)。著者の柴田昌平さん(プロダクション・エイシア代表)は、ドキュメンタリー映画『ひめゆり』を制作し、長年にわたってひめゆり学徒隊の生存者の証言を集めてきた。
『ももちゃんのピアノ』
定価=1,650円[本体1,500円]
A5変型判上製/190ページ
ポプラ社
与那覇さんは平成23年、自らの戦争体験を語った『生かされて生きて――元ひめゆり学徒隊”いのちの語り部”』(道友社)を刊行した。『ももちゃんのピアノ』は、元ひめゆり学徒への長時間インタビューをもとに、『生かされて生きて』も参考にしながら制作されたもの。
昨年6月、柴田さんが都内で毎年実施している映画『ひめゆり』の上映会に、ポプラ社の編集者・原田哲郎氏が来訪。これをきっかけに、原田氏から『ひめゆり』の児童本化の依頼を受けた。
「映画『ひめゆり』制作後も、百子さんからずっと話を聞いていた。生い立ちのこと、戦後のこと、好きだったピアノのこと――。そこから物語の構想が生まれ、百子さんとピアノの物語を題材に出版化したいと思った」と柴田さんは振り返る。
柴田さんが執筆に際して特に苦労したのは、与那覇さんが生まれ育った”首里の原風景”を再現することだった。「首里分教会の屋根は茅葺きだったのか、赤瓦だったのか。家の前の道は石畳だったのか、露地だったのか……。具体的なイメージが固まるまで、細かい確認作業が続いた」
その確認作業への協力を仰いだのは、与那覇さんの孫・徳留ひとみさん(37歳・首里分教会ようぼく)だ。徳留さんは、与那覇さんが故郷・沖縄に戻るまで、埼玉県内で長年同居していた。柴田さんは、徳留さんへの取材を繰り返し、ボランティアの協力も得て、80時間以上の映像記録から与那覇さんの言葉を文字に起こし、徹底的な事実確認を行ったという。
ピアノが心の支えに
『ももちゃんのピアノ』は、主人公・ももちゃんの小学生時代からストーリーが始まる。音楽の授業が大好きだったももちゃんは、お父さん手作りの机に鍵盤を書いた紙を貼り、ピアノに見立てて練習した。
やがて、ももちゃんは沖縄師範学校女子部に入学。沖縄戦が始まると、戦場に設けられた軍の付属病院で負傷兵の看護に当たった。
ところが、看護していた兵隊ばかりか、一緒に勤務していた先輩も爆弾によって死亡。多くの死を目の当たりにしたももちゃんは、生きる希望を失っていく。そんななか、音楽教諭の東風平先生は「ぜったいに死ぬんじゃないぞ。生きるんだぞ」と声をかける。
「ふと耳鳴りがしました。耳の奥から、東風平先生がかなでた力強いピアノの音がきこえたような気がしたのです。(中略)身ぶるいするほどの命の躍動が、ももちゃんの体の中によみがえってきました」
戦後、疎開先から戻ってきた母と5人の弟妹を養うため、ももちゃんは米軍の基地で働く。基地内のキリスト教会でピアノを見つけたももちゃんは、許可をもらい、仕事の前後の時間に練習を続けた。
戦前から戦時下、そして戦後に至るまで、ピアノがももちゃんの心を支えた――。
◇
与那覇さんのことを「太陽の笑顔」と評する柴田さんは、本書のあとがきに「どんなつらい状況にあっても『生きろ』という強いメッセージとともに生きのび、その願いを僕たちにたくして、今年94歳、カランカランと笑う太陽のように生きていらっしゃいます」と記している。
“ももちゃん”は今も
柴田さんは、本書について「いつの時代、どこの国でも、普通に暮らしていた人たちが、ある日突然、戦争に巻き込まれる。まさにいま、ウクライナやロシアにも”ももちゃん”がいる。こうした悲劇が繰り返されぬよう、私たち一人ひとりが、自分にできることを取り組んでいかなければならない。どんなにつらい状況からも、人は希望を見いだし、前を向いて生きていくことができる。そういった思いを、この本に込めた」と執筆の思いを語った。
『生かされて生きて』道友社特設サイト
https://doyusha.net/ikite/