どんな中も諦めることなく – 視点
2024・8/7号を見る
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去る秋季大祭におけるご挨拶の中で真柱様は「教祖は諦めることなく丹精された」という、ひながたに一貫した御態度について仰せくだされた。
お言葉では「私たちが教祖のひながたに思いを致すときに、教祖はあのときこのようにされたとか、このように仰せになったということを思い出して、よく参考になされることと思うのであります。それはいいことなのでありますが、まず教祖は、50年もの間、どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられたということを、これもひながたとして忘れてはならないことなのではないかと思うのでございます」と仰せられる。
「どんなことが起こっても諦めることなく」とのお言葉は、にわかに筆者にとって最も大事なひながたの実践目標となって、身に染みて有り難く、勇気をいただいた。
そういえば、と、次のようなご事歴に思いあたる。
初代真柱様の手記に「眞之亮ハ、(明治)十五、十六、十七ノ三ケ年位、着物ヲ脱ガズ長椅子ニモタレテウツ/\ト眠ルノミ。夜トナク昼トナク取調ベニ来ル巡査ヲ、家ノ間毎/\屋敷ノ角々迄案内スルカラデアル」と記されているように、この時期は、執拗なまでに官憲の干渉が厳しい。ところが、「この頃」と伝えられる教祖のご逸話には、その影響はほとんど見受けられない。現に、『教祖伝逸話篇』には200篇のご逸話が収められているが、そのうちの60篇余りが明治14年から17年ごろのおたすけ話なのである。
『ひながた紀行 天理教教祖伝細見』道友社編参照
召喚に来る警官に対しても、教祖は「連れに来るのも親神なら、呼びに来るのも親神や。ふしから大きいなるのやで」と仰せになって、いそいそと応じられ、御苦労先の監獄所においても、3年も収監されている皮膚病の女性のおたすけをなされている。
どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられた、尽きることのない親心を嚙みしめるのである。
(橋本)











