第19話 言葉はもっと豊かなもの – ふたり
やはり問題は、さとしのところだった。母親は夫から少しでも離れようと思い、自分で仕事を見つけてきた。それに腹を立てた夫は、いつになくひどい暴力を振るった。身の危険を感じた彼女は息子を連れて逃げ出した。行く当てがないのでカンのところへやって来た。居どころは知られていないはずだった。
「すいません。ご迷惑をおかけして」
母親は動揺していた。さとしは石のように固くなっている。まるで母親の恐怖を、すっかり吸収してしまったみたいだ。
ハハが詳しく話を聞くことになった。子どもの耳には入れたくないので、カンはさとしを別の部屋に連れていった。かつての子ども部屋を、いまはカンがもっぱら寝室として使っている。さすがにベッドは大人用に入れ替えてあるが、部屋の様子はほとんど変わっていない。あの懐かしい日々、わたしはカンの傍らで眠ったものだ。
さとしはベッドのなかで目を開けたまま、じっと天井を見ていた。カンは静かに語りはじめた。自分が子どもだったころのこと。物にぶつかってばかりいたことや、未来が見えたこと。見えなくてもいいものまで見えてしまったこと。ノートに書いた文字や数字が、鏡に映したように左右が反対になったこと。算数が苦手で、足し算のやり方がわからなかったこと。
でも悪いことばかりではなかった。光や風や草花や小さな虫や動物たちの言葉が理解できたから。自然はみんな自分たちの言葉をもっている。こちらが喋らないと向こうも安心するのか、いろんなことを話しかけてくれる。
人にも虫にも動物にも共通する言葉があるのに、どうして人間にしか通じない言葉を使うのだろう? 日本語も英語も、虫や小鳥には通じない。日本語は日本人にしか通じないし、英語も一部の国の人にしか通じない。言葉はもっと豊かなものであるはずなのに。
夢を見ているみたいだった。人も虫も動物も植物も同じ言葉を喋り、過去と未来と現在は一つに融け合っている。そんな夢がいつも寄り添い、包んでくれていた。学校はまた別の世界だ。正しい言葉があり、多くのものに正解がある。昨日と今日と明日は切り離されている。二つの世界を行ったり来たりしていた。
いまでもあるような気がする。行こうと思えば、いつでも行ける気がする。でも、いまはここにいる。ここが自分の居場所だから。
少年はベッドのなかでじっと話を聞いている。何かが伝わっているみたいだった。かつてわたしがカンを見守ったように、いまはあの子が少年を見守っている。だからわたしはいまも、自分がカンを生きているような気がする。