無自覚な「うそ」のこわさ – 視点
パンデミック、大国の軍事侵攻、そして要人への凶行。世界を揺るがす事象・事件が起こるたびにフェイク(偽)ニュースがインターネット上にあふれる。その拡散を防ぐNPO法人ファクトチェック・イニシアティブは、安倍晋三元首相が銃撃された7月8日、ツイッターで注意喚起を促した。「家族や友人から回ってきた情報、インフルエンサーが拡散している情報などでも、それを再拡散する前に、正しい情報か立ち止まって確認するように」
フェイクニュースは、他愛もない噂話から社会不安を煽るデマまで幅広い。特に後者のようなSNS発信に、軽率に「いいね」をしたり、リツイートしたりすれば、悪意の拡散や被害の拡大に手を貸すことにもなりかねない。ネット社会の落とし穴である。
ネットメディアの偽・誤情報を見抜くのは容易ではない。その適正な向き合い方を「メディアリテラシー」というが、情報の吟味には豊富な知識や専門的技術が必要で、たやすく身に付かない。その背景には脳の特性もあるという。
脳科学者の中野信子氏は、「私たちは意外なほどウソに弱くできている」と指摘する。すなわち、人間の脳には、論理的に正しいものより、認知的に脳への負荷が小さいものを好む性質がある。思考のプロセスにおいて、脳の消費エネルギーを節約し効率化するために、分かりやすく整理された情報、つまり考えなくても済むものには“好感”が生じる。つまり「脳は騙されたがっている」というのだ。
一方、インターネットにはウソやデマの温存につながる推奨システムが備わっている。利用者の検索・閲覧履歴などを集積・分析し、個人の好みに合わせて「おすすめ」を提案してくるので、利用者の考えに似た意見や“好感”の持てる情報が集まってくる。それが悪意に満ちたものや陰謀論ならば、人や社会に害を及ぼしかねず、賛意を示すだけで訴訟に発展することもある。
お道では、八つのほこりのほかに、「うそ」と「ついしょう」を慎むよう教えられる。「おさしづ」には「神は嘘と追従これ嫌い」(明治22年3月10日)とある。「うそ」とは本来、意図的なものだが、情報社会では無自覚に「うそ」を広げているおそれがあることを自覚したい。そして、日ごろのメディア行動が教えに沿ったものであるか、自らに問うことにも心したい。
(松本)