すきっと Vol.41 特集「一途」
2024・9/4号を見る
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「すきっとした気分で暮らすために」をコンセプトに、著名人へのインタビューや対談などを掲載するインタビュームック『すきっと』の最新第41号が、9月1日に発売された。テーマは「一途」。特集では、青山学院大学陸上競技部監督の原晋さんをはじめ、各界のトップランナーが、自らが人生を捧げる仕事について話している。さらに、人気コーナー「skitto対談」では、石川県珠洲市で引退競走馬の支援に取り組む元JRA調教師の角居勝彦さんと、ジャーナリストで作家の手嶋龍一さんが、引退競走馬が持つ可能性や、被災地の復興にかける思いなどについて語っている。ここでは、「skitto対談」をダイジェストでお届けする。
奥能登に“引退競走馬の故郷”を
手嶋
今年4月に、角居さんの活動を取り上げた『馬をたすけ 人をたすけ』(道友社)が発刊されました。私も拝読しましたが、“伝説の調教師”角居勝彦が突然の引退を決意した背景や、現在の取り組みにかける思いが、丁寧な取材をもとに書かれていて、とても読み応えがありました。
角居
ありがとうございます。
手嶋
角居さんには調教師時代から大変お世話になり、そのご活躍はよく存じ上げていますが、ご自身で当時を振り返ってみて、調教師として頂点を極めることができたのはなぜだったと思っておられますか。
角居
頂点まで行けたかどうか……。競馬界において、ある意味、調教師はなんでも自分で決められるポジションにあります。会社でいえばゼネラルマネージャー(GM)のようなもの。GMが、ただ偉そうに振る舞っているだけでは、その会社はうまくいきません。でも、社員が気持ちよく働けるよう職場の整備に努めるなら、その会社は確実に強くなる。調教師も、厩舎の従業員や生産者である牧場の方々など、馬に関わる人たちの働きや思いが、いかに大切で尊いものであるかを分かっていなければ、強い馬は育たない。ですから、牧場の生産者や厩舎の従業員さんも含めて、一つのチームとして一体感を持つことに一番気を使っていました。
手嶋
角居さんは、自分が信じることにチャレンジしてきました。リスクを覚悟で未知の事柄に挑む人は、それほど多くいるわけではありません。でも、そうでなければ、調教師としての頂点を極めたところで突然引退し、引退競走馬の支援活動に取り組むようなことはしないはずです。
今回、大きな地震が北陸地方を襲いました。能登には、美しい棚田や里山がありますが、著しい高齢化や、震災をきっかけに人々が故郷を離れてしまうことで、この里山が失われるかもしれない。もし珠洲が“引退競走馬の故郷”として生まれ変わり、一定の資金が充てられれば、棚田や里山も美しく保たれることになる。この美しい能登の地を残すためにも、引退競走馬が大きな役割を果たすことができると思います。そういう点でも、角居さんの活動は非常に意義があると感じます。
大きな潜在能力を秘める引退競走馬
手嶋
天理大学でホースセラピーの取り組みを始められましたね。以前から馬が人間のセラピーに向いているといわれていましたが、実際にそうした“馬の天分”を感じることはありますか。
角居
馬は人間の感情を読み取る能力が非常に高い動物です。心に傷を負って感情をうまく表に出せない人がいると、馬は近くに寄ってきてくれることがあります。
こうした習性には、草食動物ならではの特性が関係しています。肉食動物は、両眼が顔の正面についていて、両眼で一つの物を見て距離感を測ります。一方の草食動物は、逃げることを本来の習性としているので、顔の側面に眼があり、「半眼視」といって、広い視野で逃げ道を探して行動を起こします。この特性が、うつやひきこもりになった人の行動と似ているらしいのです。馬からすると、人間が自分たちと同じような行動をするので、不思議に思って近寄ってくるのでしょう。心に傷を負った人は、馬が近寄ってくると、自分に関心を持ってくれていると思い、コミュニケーションを取るようになる。こうして馬と接するなかで自己肯定感が高まり、馬に何かしてあげたいと思うようになる。馬の専門家が両者をうまくマッチングさせて互いに関わるうちに、人間とのコミュニケーションも取り戻していくのです。
サラブレッドはメンタルケアにとても有益な動物です。この能力をもっと有効に使うべきだと思います。
手嶋
プレッシャーをかけるわけではありませんが、こうした馬に対する理解を全国へ広める語り部にしてフロントランナーとしての、角居さんの責任は重いですね。
角居
そうですね。ですが、私が珠洲で偉そうなことを何百回言ったところで、広まるには遅すぎます。大切なのは教育です。天理大学がホースセラピーの授業を開講してくださったことで、きちんとした教育機関で、若い人たちに正しい知識を学んでもらうことができます。その人たちが日本全国で活躍してくれることが、馬の生きる世界を広げることにつながるのです。こういう取り組みは、おそらく世界に例がありません。これが確立されてスタンダードになれば、日本から世界へ発信できる引退競走馬の新たなありようとして、人をたすけることにもつながると信じています。