立つか、すわるか – 世相の奥
2024・9/4号を見る
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私は京都の西郊、嵯峨野でそだった。渡月橋の北側で、歩くと十数分ほどのところである。今は人家が密集している。だが、私のおさなかったころは田畑のひろがる農地であった。1960年代のはじめごろまでは。
あたりを歩くと、農作業にいそしむ人々を、よく見かけた。女性の働き手も、少なくない。畦道の脇で、立ったまま排尿へおよぶ野良着の老婦人とも、であったことがある。
子供たちは、それを「おばあちゃんの立ち小便」とはやしたてた。いっぱんに、女性はしゃがんで小用をする。少なくとも、屋内ではそれが常識になっている。だが、屋外だと立ってする女の人も、当時はいた。その希少性に、子供らは「立ち小便」という言葉をあてがったのである。
周知のとおり、高度成長期に、そういう女性は、ほぼ絶滅した。しかし、男たちが街頭で小用におよぶ姿は、まだなくならない。そして、彼らが電柱の陰などで用をたすことは、あいかわらず「立ち……」と評された。
不可解な言葉づかいである。洋便器が普及する前の排尿姿勢を、想いうかべてほしい。男たちは、基本的に立っていた。屋内外を問わず、すわってすることはなかったのである。そんな男たちの排尿を、屋外にかぎって「立ち……」とよぶことは、理にあわない。
かつては、女たちが外でなら、立ちながらやることもあった。その記憶が男たちの屋外における小用に、投影されたのだろう。そのため、「立ち……」という言葉も、男の行為へ飛火した。どこでも、立ったまますませている。そんな男の振舞いが、屋外限定で「立ち……」と言われたのは、そのためだろう。
さて、このごろは、ほとんど和便器を見かけなくなった。オフィスやショップにかぎらず、家庭でも洋便器の普及がいちじるしい。今は、男もすわってすることが普通になっている。つまり、「立ち……」と形容しうる男の用たしもありうる時代が、到来した。
しかし、屋内で男性用小便器にむけて小用をしても、「立ち……」とはよびにくい。あいかわらず、この言葉は屋外の男にかぎり、つかわれる。屋外で立つこともあった女性についての残像は、あなどれない。彼女たちは、半世紀の時をこえ、今なお「立ち……」の意味を左右しているのである。