心の向きが変わる“おぢばのありがたさ” – 修養科の四季
2024・9/18号を見る
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第991期 寺下芳勝さん
70歳・愛知県岡崎市・愛眞分教会所属
天理教を知ったのは、信仰熱心な妻との結婚がきっかけだった。当時、仕事が一番だった私は、妻と義父母がお道の御用を優先してつとめる姿を理解できず、信仰から距離を置いていた。
そのまま月日が流れ、仕事を辞めて今後のことを考えていた昨年夏、急に食事が喉を通らなくなった。日に日に体重が落ち、やがて歩くこともままならなくなり、ほぼ寝たきりのような生活に陥った。
その間、さまざまな病院で検査を受けたが、結果は異常なし。薬も処方してもらえず、生きる気力を失いかけていたある日、所属教会の会長さんに修養科を勧められた。いまだ信仰には懐疑的だったが、妻の説得もあり、「たすかる可能性が少しでもあるなら」と、志願を決意した。
おぢばへ向かう前日、自宅で突然意識を失い、緊急搬送された。気がついたとき、「このまま一生を終えるのか……」と落ち込んだが、その後の検査で、自身の身上が脳の神経障害によるものと判明。回復に向けて、一筋の光明が見えた。
入院中、妻は「一緒におぢばへ行かせてもらおう。必ず神様がたすけてくださる」と力強く言った。その言葉が心に響き、今年1月、妻と共にあらためて志願した。
人のたすかり願うなか
初めの1カ月は、自分一人で歩くこともままならず、一日一日と日程をこなすだけで精いっぱいだった。心身ともにつらい状態が続くなか、神殿掃除や詰所のひのきしんでは、よく不平不満を口にし、先が見えない不安から塞ぎ込んだ。
2カ月目に入り、新たな修養科生が二人、詰所にやって来た。このとき、「先輩として何か力にならなければ」と思った私は、妻と一緒に詰所での過ごし方などを説明するようになった。
そうしたなか、二人から感謝や思いやりの言葉を伝えられるたびに、いつの間にか自分が笑顔になっていることに気づいた。そして「とにかく前向きに、一生懸命に通ろう」という気力が湧いてきた。
以来、妻をはじめ、クラスメートや講師の先生方のサポートを受ける中で、日に日に体調が良くなり、自力で歩けるようになった。たすかりを願ってくださった人たちへの感謝の思いで心が満たされるとともに、喜びのほうへ心の向きが変わるおぢばのありがたさが身に染みた。
「このご恩を、なんとしてもお返ししたい」と思った私は、本部神殿で毎日参拝し、悩みを抱える周りの人のためにお願いづとめを続けた。こうして人のたすかりを願う中で、自分でも驚くほど毎日を明るく陽気に過ごせるようになった。
修養生活を通じて、親神様・教祖は、自分中心の心ではなく、常におたすけの心を持つことの大切さを教えてくださったのだと思う。おぢばで心の向きが変わったことや、修養科で学んだことをしっかりと胸に治め、残りの人生を勇んで通らせてもらおうと決意を新たにした。
◇
修了後、所属教会への日参を続けている。教祖140年祭に向けて続けられている十二下りのお願いづとめを教友と共に勤めた後、ひのきしんに汗を流す毎日だ。
体は身上を頂く前の状態に戻り、元気に毎日を過ごせている。これからは報恩感謝の心で、全力で教会のために尽くしたい。そして、私自身が修養科でたすけていただいた話を、難渋を抱える周囲の人たちに伝えていきたい。