教祖ゆかりの場所や物から“色あせない親心”を感じて – 『ひながたの風景』出版記念講演 岡田正彦・天理大学教授
2024・9/18号を見る
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道友社は8月25日、新刊『ひながたの風景――教祖と先人の足跡を訪ねて』の著者である岡田正彦・天理大学教授による出版記念講演会を開催、50人が参加した。同書は、2017年から22年までの6年間にわたって、岡田氏が本紙で連載した特別企画「新“ひながたの風景”をたずねて」を書籍化したもの。ここでは、岡田氏の講演の内容をダイジェストで紹介する。
教祖ゆかりの場所や物から〝色あせない親心〟を感じて
教祖が現身をかくされてから『稿本天理教教祖伝』が公刊されるまでに、70年もの年月がかかった。現在は簡単に読むことができる一方で、『教祖伝』を読んだだけでは“教祖の時代”は遠い昔のことであり、現在と掛け離れた話のように思われがちである。そこで時報の連載では、教祖をはじめ先人が通られた場所へ実際に足を運ぶ取材を通じて、そこかしこに現在とつながる“足跡”が残されていることを味わうことから始めた。
「雪の日」におぢば目指して
特に印象に残っているのは、『稿本天理教教祖伝逸話篇』44「雪の日」の増井りん先生の逸話を頼りに、大阪府柏原市の大縣大教会へ赴いたときのこと。
実は取材の1週間前から、吹雪の中をお屋敷へ向かった増井りんの足跡を追体験したいと思い、本部神殿で「雪を降らせてほしい」とお願いをしていた。
逸話によると、増井りんは明け方に出発し、夕方4時ごろ、お屋敷に着いたという。これを目指そうと未明に大縣大教会へ行き、朝づとめに参拝してから出発した。すると道中で雪が降り始め、やがて大雪になった。おぢばまでの道のりには険しい山道があり、雪が降ったこともあって、かなり苦しい思いをした。実際に歩くと、増井りんはとても足早に歩いていたことが分かり、同じ夕方におぢばに到着することは不可能だった。
また、大縣大教会では、増井りんが書写した「おふでさき」をはじめ、教祖ゆかりの物を拝見した。それらを通じて、教祖と増井りんの間には、神様と信仰する人というだけではない、女性同士の深い関わりがあったのではないかと強く感じた。
この特別企画の取材を通じて、街道沿いの道標や明治時代からある建物、あるいは「おふでさき」の写本や「こふき本」、先人の手記などを目の当たりにするたびに、過去は現在の源であるとともに、現在の一部でもあることを、あらためて感じた。私たちからすると、約150年前の教祖の時代は、ずいぶん昔のように思うかもしれないが、2千年、3千年後の人からすれば、いまは“天理教の原初時代”に当たるだろう。教祖の時代にどのような人がいて、実際に何があったのかということを残していく努力を疎かにしてはいけない。これは、いまの時代に生きる私たちの役割の一つだと思う。
教祖はご存命で、今日も明日も変わらずお働きくだされている。教祖の歩かれた道は、いまも変わらず続いており、教祖と先人の足跡をたどる中で、教祖と共に歩いているという思いを強くした。
また、取材先の各地の大教会などで赤衣の襦袢や赤衣で拵えた紋など教祖ゆかりの物を実際に拝見し、色鮮やかな赤色が残っていることを知り、世界のたすかりを願う教祖の親心は、いまも決して色あせていないと実感した。そして、色あせない教祖の親心に、人類の運命と未来の可能性をあらためて感じた。
教祖は月日のやしろであらせられ、導かれる道筋は人類の救済、すなわち陽気ぐらしであること、そして、そこに向かって日々を歩んでいることを信じるようぼくがいる限り、赤衣に込められた教祖の親心が色あせることはない。そういう気概と意欲を持って、ようぼくとしての歩みを一人ひとりが進めていかなければならないと確信した。