小さな防災 – 新連載 Well being 日々の暮らしを彩る 1
2024・10/30号を見る
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岸本葉子・エッセイスト
巨大地震への注意が呼びかけられて以来、防災は気にしている。家にいても、危険箇所はないかという目でつい見てしまう。
歯みがきをしていて思ったのは「洗面台の上の収納は対策が要るな」。片開きの扉が一枚。留め具はなく、指先でついと引くだけで開く。揺れたら中味が飛び出すのは必至。
キッチンの流し台の上の収納も同様の扉だが、そちらは耐震ラッチが付いている。天板の下と扉の裏に留め具があり、揺れると開きをストップする。
調べると耐震ラッチで後付けできるものがあるようだ。商品にネジも含まれ、ネジ回しは家にあるから、すぐにも取り付けられる。通販で購入した。
届いて早速取り付ける。天板の下に留め具を当て、所定の穴へネジを差し込む。後はネジ回しを下から押しつけ回すだけ……のはずが入らない。ネジがまったく進んでいかない。ネジ山が空回りしてミゾを深掘りするばかりで、これ以上力を込めるとミゾが潰れてしまいそう。
いきなりネジは無理だったか。キリでまず下穴を空けよう。キリの先を押しつけるが……刺さらない。二の腕と肩が張り、上を向き続けている首が痺れてくる。
こんなに硬い板だとは。中学の「木工」の範囲内でできるかと思っていた。ネジはあきらめ、粘着テープで付けるストッパーを探すが、いずれもサイズが扉と合わない。
発想を転換する。扉が開かないことを目指さない。揺れで中味が飛び出しても、怪我さえ防げればいいと考えよう。
中にあるものでもっとも危険そうなのは、化粧水やクリームの瓶だ。ガラスかガラスを模した合成樹脂で、人からもらったものは特にゴージャス。深く落ち着きのある色で、神秘的な輝きを放っている。小ぶりながら壷のような量感があり、硬くて重い。「飛び出して頭に当たったり、落ちて割れたり洗面台を破損したりすると事だな」と歯みがきをしていて思ったのが、そもそもの始まりだった。
旅行用品のようなソフトボトルに詰め替えればいいのでは。百均ショップで買ってくる。
中味を移すと「え、これだけ?」と拍子抜けするほど少ない。この軽さなら、顔面を直撃しても何てことなさそうだ。
容れ物がいかにおおげさだったかがわかる。置いてある満足感とか効きそうな期待感とかに資するだろうから、否定はしないが、私としては簡易包装で充分で、むしろありがたい。これからも詰め替えていくだろうし。
この方式で洗面台の危険は、とりあえずなくせたつもりでいる。
岸本葉子
1961年、神奈川県生まれ。エッセイスト。東京大学教養学部教養学科相関社会科学専攻卒業後、会社勤務を経て、中国・北京に留学。帰国後、執筆活動に入り、日常生活や旅を題材としたエッセーを数多く発表。同世代の女性を中心に支持を得ている。著書に『いのちの養生ごはん』(中公文庫)など多数。