人だすけを通して“生きる喜び”感じ – 修養科の四季
2024・11/13号を見る
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第994期 岡本汐央さん
22歳・天理市・本部直属尾道分教会所属
瀬戸内海にある島の教会で生まれました。島には病院がなく、出生時、8カ月に満たない早産児として、父の手で取り上げられました。12時間近く脳に酸素が回っていない状態が続いたそうですが、奇跡的に肺が開いたことで一命を取りとめました。
教会長夫妻である両親は、私が物心つくころから、何度も出生時のことを振り返って、神様の話をしてくれました。しかし私は、真剣に耳を傾けることなく、それどころか「恩着せがましい」とすら思うようになっていました。
小学校高学年のとき、姉がふさぎ込むようになりました。姉の気持ちを理解できないもどかしさから、その矛先は両親へ。次第に「姉のことを真剣に考えていないのでは」と思うようになり、素直に親に向き合えない時期が続きました。
こうしたなか、昨年、父から修養科を勧められたのです。大学卒業後は本部女子青年を勤めることになっていたので、「今後のためにも」と志願しました。
おさづけの理の取り次ぎに努め
修養生活がスタートして半月が過ぎたころ、感話の授業で発表するため、出生時のことを両親に尋ねました。あらためて話を聞く中で、何かしら障害が残ると言われながらも、これまで大きな身上もなく過ごせたのは、私のために神一条に通ってくれた両親のおかげだったと気づいたのです。
また、姉にも絶えず大きな愛情を注いでくれていたのに、それを素直に認められなかったことを反省しました。以来、周りの人の言葉を素直に聞いて、親が喜んでくれることを進んで実践しようと心に決めました。
1カ月目が終わるころ、教養掛の先生が「おさづけの理をたくさん取り次がせてもらうほど、親神様・教祖はお喜びくださる」と話してくださいました。このとき、自教会でおさづけの取り次ぎ回数を毎月数えていることに思いが至り、私も積極的に取り次がせてもらおうと思いました。
それからは、クラスメートに進んで取り次ぎを申し出ました。ある日、教祖殿で参拝した際に、御用場でぬかずく人に勇気を出して声をかけました。そして、二人の方におさづけを取り次がせていただいたのです。「ありがとう」と言われた瞬間、心の底から感謝の思いがあふれ、人だすけが“生きる喜び”につながることを実感しました。
また、姉との関わりについても、「私には話を聞くこと以外何もできない」と諦めていましたが、おさづけを取り次いで、人のたすかりを祈る中で、前向きに相談に乗ることができるようになりました。親神様・教祖のご存在を知っているだけで、落ち込むところを喜べたり、解決に至るお導きに気づけたりすることが分かって、お道は本当にありがたいと感じました。
修養科の3カ月間を通じて、身の回りに起きるすべてのことに、親神様の思召が込められていると確信しました。これからは、おぢばで学んだ「人救けたら我が身救かる」の教えを胸に、まずは家族や友人など、身近な人に、おたすけの気持ちで接していきたいと思います。
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現在、本部お仕込み女子青年として勤めています。己の未熟さを日々痛感しながらも、心がモヤモヤしたときは、すぐ神殿へ足を運び、心を澄ますように努めています。両親や本部の先生方の姿に学び、親神様・教祖がお望みくださるようぼくに成人させていただこうと、いま心を新たにしています。