亡き義父の導きを胸に巨大風車の解体に挑む 株式会社Greentec Japan代表取締役 山内俊介さん – ようぼく百花
2024・11/13号を見る
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風を利用し、全長50メートル以上にも及ぶ巨大な風車を回して発電する風力発電。1990年代後半、環境問題への取り組みの一つとして、国の補助を受け、全国各地に風力発電所が建設された。しかし20年以上が経ったいま、多くの風車が老朽化により解体を余儀なくされている。
株式会社Greentec Japan代表取締役を務める山内俊介さん(41歳・教会本部ようぼく・東大阪市)は、風車をはじめ、地熱発電に利用するやぐらや大型クレーンなど、全国各地の巨大設備の設置・整備・解体などを請け負っている。その活躍の舞台は、国内はもとより海外にも及び、テレビ番組にも取り上げられた。
未信仰家庭に生まれ育ち、幼いころから野球好きだった。野球の強豪校である大阪桐蔭高校を経て奈良産業大学(現・奈良学園大学)へ進み、野球部監督を務めていた藤原忠理さん(現・天理高校野球部監督)と出会う。いまも恩師と慕う藤原監督のもと、野球に打ち込み、4年生のときには副キャプテンを務めた。
卒業後は一般企業に就職し、倉庫・港湾荷役業に従事。30歳のとき、周囲の勧めもあって独立し、株式会社Greentec Japanを設立した。初めは産業廃棄物の運搬を行っていたが、機械の修理・整備も請け負うなど、徐々に仕事の幅を広げていった。
「できないと言うのが嫌だ」
山内さんがお道の教えを知ったのは33歳のとき。橋本武徳・元天理高校野球部監督(故人)の娘・球子さんとの出会いがきっかけだった。
「高校の野球部部長と大学の藤原監督は、ともに橋本先生の教え子。そんな方の娘さんとご縁を頂いたことに、不思議なつながりを感じた」
34歳で結婚後、すぐに別席を運び、ようぼくの仲間入りを果たした。
転機が訪れたのは3年前。テレビで放送された風車解体の特集番組を見て衝撃を受けた。「かっこいい。これをやってみたい!」。即決した山内さんは、風車解体の現場を探し、自ら営業に奔走した。
最初の現場は、北海道苫前町にズラリと並ぶ19機の風車の解体作業だった。作業は、地上約60メートルの高さまで上り、命綱一本で行う。ブレード(羽根の部分)にワイヤーを掛け、巨大クレーンの操縦者に指示を出しながら慎重に下ろしていく。判断を誤れば、巨大な鉄の塊に衝突する危険性もあるという。
ブレードを下ろした後も、埋め込まれた約180本ものボルトを外すなど、過酷な重労働が続いた。19機の解体にかかった期間は半年に及んだ。
「真夏の酷暑のなか、19機のボルトを一人で外した。体重が15キロも落ちるなど、大変な作業だったが、あの仕事をこなせたおかげで、たくさんの仕事の依頼を頂くようになった」と振り返る。
「できないと言うのが嫌だ」と言う山内さん。野球で培ったチャレンジ精神で、さまざまな仕事を請け負っている。同社は現在、風車解体のみならず、地熱発電開発に使用するやぐらの建設や、コンテナを運ぶ巨大クレーンの整備、大型機械の器具設置など、国や企業からプロジェクトの依頼を受けるまでに成長を遂げた。
1年のうち10カ月は全国各地を飛び回っている山内さん。それでも時間を見つけては、おぢばへ足を運び、橋本監督の墓前に参るという。
「さまざまな場面で、たすけの手を差し伸べてくださった人たちのおかげさまでここまで来られた。数人で始めた会社だが、いまでは30人の従業員を抱えるほどになった。彼らとその家族を幸せにできるよう、チャレンジを続けたい」