東京国立博物館特別展の“埴輪兄弟”の末っ子 参考館所蔵 重文「武人埴輪」に脚光 – 話題を追って
2024・12/4号を見る
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天理参考館所蔵の重要文化財「武人埴輪」が、10月16日から東京都台東区の東京国立博物館(=東博)で開催中の特別展「はにわ」(主催=東博、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社)で、5体の“埴輪兄弟”の末っ子として展示され、脚光を浴びている。東博所蔵の埴輪「挂甲の武人」(群馬県太田市飯塚町出土、6世紀)の国宝指定50周年を記念する特別展では、「挂甲の武人」と同一工房で製作されたと考えられる4体の埴輪(うち1体が参考館所蔵の「武人埴輪」)が初めて同時公開されている。ここでは、東京で再会した“兄たち”と共に展示された「武人埴輪」を紹介するとともに、同展担当研究員の山本亮氏に“埴輪兄弟”の魅力などについて談話を寄せてもらった。
約1,750年前、王の墓である古墳に配置される造形物として作られ始めたとされる埴輪。古墳時代の約350年間、時代や地域ごとに個性豊かな埴輪が製作され、王を取り巻く人々や往時の様子を現在に伝えている。
参考館は約160点の埴輪を収蔵。天理市の布留遺跡から発見・復元された「馬型埴輪」など、当時の時代背景を紐解くヒントになる埴輪を数多く有している。
なかでも、いまも謎が多く残る古墳時代を研究するうえでの貴重な資料として注目を集めているのが、重要文化財の「武人埴輪」だ。頭から足まで完全武装している埴輪は、数センチ四方の鉄板を紐でつないで組み上げた挂甲と呼ばれる甲を身に着けた様子を表現。こうした例は極めて少なく、1枚1枚の鉄板の継ぎ目や腰に巻いた紐の位置、さらに矢の入れ物(胡録)の着用方法、籠手の構造まで読み解くことができる。
参考館の藤原郁代・学芸員によると、「武人埴輪」は埴輪作りが盛んだった群馬県の出土品で、1911年以前に現在の太田市世良田町の古墳から出土し、彫刻家の吉田白嶺(1871~1942)によって修復されたという。
「武人埴輪」には、同一工房で製作されたとされる4体の“兄弟”が存在。東博のほか、群馬、千葉、アメリカ・シアトルの博物館や美術館に分かれて所蔵されている。「武人埴輪」は、兄弟の中で最も新しく製作された“末っ子”だ。
このたび、東博で約半世紀ぶりに催された国内最大規模の埴輪展で、5体の“埴輪兄弟”が初めて勢揃い。全国の“はにわファン”が連日会場へ足を運ぶとともに、SNSで話題になり、大きな反響を呼んでいる。
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なお、特別展は12月8日まで。その後、「武人埴輪」は同展が巡回する九州国立博物館(福岡県太宰府市)で、来年1月21日から5月11日にかけて展示される予定。
文=久保加津真
談話 職人の手仕事が感じられる逸品
山本 亮 氏(東京国立博物館学芸研究部/調査研究課考古室研究員)
本展の目玉である埴輪「挂甲の武人」の兄弟については、これまで紹介している衣装や持ち物の違いに加え、色についても注目です。すでに国宝の挂甲の武人(東京国立博物館所蔵)については色の復元を公表したところですが、兄弟埴輪についても色が観察できるものがあります。なかでも天理参考館様ご所蔵の武人埴輪は甲の引き合わせの紐などワンポイント的に色を塗っているとみられます。ぜひ違いを実際に見比べてみてください。
一連の埴輪「挂甲の武人」は、数ある埴輪の中でも造形として最高峰に位置するものであり、そのことは同じ工房で作られたと考えられる兄弟埴輪を揃って鑑賞することで、より鮮明にイメージしていただけると思います。そのためには天理参考館様の埴輪は本展覧会にとって欠かせない存在です。
天理参考館様ご所蔵の「挂甲の武人」は兄弟のなかでも最も新しく作られたものと考えられ、「末っ子」としてご紹介しています。兄弟たちのなかでは表現や彩色の省略はありつつも、威儀を正した武人の姿がしっかりと表現されており、武人埴輪を作り続けてきた工房の職人の手仕事が感じられる逸品になっています。