AI依存が加速する社会に思う – 視点
2024・12/11号を見る
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今年のノーベル賞は、物理学賞と化学賞で人工知能(AI)に関係する研究成果が選ばれた。物理学賞は、人間の脳の仕組みを模擬してAIの機械学習の基礎となる技術を開発した米国とカナダの研究者、化学賞は、AIでタンパク質の立体構造を予測する技術を開発するなどした英米の研究者3氏への授与となった。AI研究での受賞は初で、AIの驚異的な進歩を世界中に知らせるノーベル賞となった。
AIの研究は1956年、米ダートマス大学での「ダートマス会議」から始まったとされる。2022年、米国オープンAIが開発した生成AI「Chat GPT」が登場すると瞬く間に世界へ広がり、いまや暮らしや仕事の効率化をはじめ各分野で活用されている。
一方、新しい技術には、さまざまな弊害や課題が伴うものである。物理学賞の研究者は「私たちは自分たちよりも賢いものを手にしたことがない。制御不能になる脅威を心配しなければならない」と会見で語り、警鐘を鳴らした。実際に負の側面も無視できなくなりつつあり、その範囲は精巧な偽画像からAI兵器の出現まで幅広い。社会のAI依存が加速するなか、冷静に検証する姿勢も必要なのかもしれない。
日常生活において、無制限かつ過度にAIに依存すると、思考力や記憶力、真偽の判断力など人間に備わる能力が劣化していくといわれる。それでもAIに疑心暗鬼でいながら、一方で依存している現実がある。
仕事でAIを活用するのは、人の手で調べて資料を作るよりも効率的だからである。しかし気をつけないと、「結果さえ良ければ」と早く簡単に答えを求める癖がつき、それがいつしか日常の考え方や行動に影響を与える。仕事、勉学、スポーツでも、「結果」を出すために、いかに努力したかという「過程」が、人間を成長させる要素ともいえる。
こうした効率化、合理性重視の考え方が信仰の世界にも及ぶことが懸念される。教えに心を合わせ、苦心しながら尽くした誠真実が尊く、それゆえ「神は心に乗りて働く」(おさしづ明治31年10月2日)というご守護を頂くのではないだろうか。信仰の要諦は「心」にあり、やはり信仰の答えはAIでは測れないものである。
(加藤)