プロ指導者を経て母校へサッカー通じて“人をつくる” 天理大学サッカー部監督 高祖和弘さん – ようぼく百花
2025・2/19号を見る
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寒風吹きすさぶ天理大学白川グラウンドサッカー場に大声で指示が飛ぶ。「そこ、狙っていけ!」。Jリーグのサガン鳥栖の元監督で、現・天理大学サッカー部監督の高祖和弘さん(65歳・四倉分教会ようぼく・大阪府豊能町)は、練習に取り組む選手に熱い視線を送る。
佐賀県出身。小学6年生のとき、サッカーを始めた。ポジションはゴールキーパーで、中学では全国大会ベスト8、高校時代は県選抜に入った。高校の担任が天理大学OBだったこともあり、天理大学への進学を決めた。
「あいさつや気配りなど、社会人として大切なことを教えてもらった」と学生時代を振り返る。
卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社。サッカー部の主力選手として活躍し、日本サッカーリーグ(JSL)1部昇格と天皇杯優勝に貢献した。
その後、ブラジル遠征の際に、現地の天理教教会が運営する日本語教室へ通う妻のデボラさん(58歳)と出会う。「大学進学も含めて、人生の折々に、お道との不思議なつながりがあった」という高祖さん。やがて教友の勧めで別席を運び、ようぼくの仲間入りを果たした。
大切にしている教えは、「八つのほこり」。説き分けの刷り物を自宅の壁に張り、折にふれて読み返しているという。
天理に恩返しを
1991年にスパイクを脱ぐと、翌年、発足間もないJリーグのガンバ大阪のコーチに就き、指導者としてのキャリアをスタートさせた。
その後、2000年にJリーグディビジョン2(J2)のサガン鳥栖の監督に就任。J1昇格を目指すプロチームの指揮を執った。
23年、母校・天理大学サッカー部の監督に招聘されると、同年度、同部は関西学生サッカーリーグ3部から2部昇格を果たす。
高祖さんは「天理大学サッカー部は“人をつくる”ところ。“人をつくる”ことと併せて、サッカー競技では大学日本一を目指している」と、人間教育の重要性を強調する。
「フェアプレー精神や相手へのリスペクトはもちろん、困っている人がいたら助けるなど、サッカーを通じて、当たり前のことを当たり前にする姿勢を養ってもらいたい」
国内のサッカー指導者として最高ランクの日本サッカー協会Proライセンスの資格を持ちながら、大学生の指導に心血を注ぐ名将。その根底には、「天理に恩返しがしたい」との熱い思いがある。
「天理で育った若者が世界へ羽ばたき、お道の精神が広がっていく。そんな未来を夢見ている」
柔和な笑みを湛えながら、高祖さんは自身が思い描く“将来のビジョン”を語った。
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