互いに理解し合おうと努力する余地 – おやのことば・おやのこころ
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一ッ ひとのこゝろといふものハ
「みかぐらうた」十下り目
ちよとにわからんものなるぞ
先日、長男が通う小学校のグラウンドで少年ラグビーの体験教室が開かれ、わが家の子供たちも初めて参加しました。「家で遊びたいのに」と外出を渋っていた長男とは対照的に、お土産に頂いた真新しいボールを手に笑顔で帰宅した次男は「早く空気を入れて!」と大はしゃぎです。
しばらく子供たちとキャッチボールに興じて感じたのは、楕円球のユニークさです。地面に落ちると、ボールは思わぬ方向へ転がります。独特の形になった経緯には諸説あるようですが、バウンドを読む難しさがラグビーという競技におけるスパイス的な役割を果たしていることは、試合を観戦していてよく分かります。
正確に読むのが難しいのは、人の心も同じです。人間、相手の本心が分かれば、どれほど楽かと思うこともありますが、扱いやすいボールを使えば競技の醍醐味が薄れるように、人の心が簡単に分かるようなら、私たちの暮らしは実に味気なく、かえって殺伐としたものになるかもしれません。人間が陽気ぐらしへ近づくために、互いに理解し合おうと努力する余地を、あえて親神様が残してくださっているようにも思えます。
体験前こそ、やや消極的だった長男ですが、その日の宿題の作文には「意外に楽しかったので、またやりたい」との一文がありました。読みづらいのは幼心も然り。次の体験教室の日が楽しみになりました。
(榊)