雪景色に注ぐ穏やかな陽光 ご恩に報いる固い決意 – 逸話の季
2025・3/5号を見る
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立春はとうに過ぎて暦のうえでは春になっているのに、まだ寒気の影響が続いています。白い雪に覆われながら、可愛らしい花穂を健気に咲かせているネコヤナギのほかには、まだどの草木にも春の兆しはありません。それでもしばらくすれば、必ずあちこちに春の先触れを見つけることができるはずです。梅の花の香りやフキノトウの味わいに春の訪れを感じる季節は、もうすぐそこまで来ています。
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明治15年3月頃、大和国神戸村の小西定吉は、妻がをびや許しを頂いた際に「この神様は、をびやだけの神様でございますか」と伺いました。このとき、教祖は「そうやない。万病救ける神やで」と仰せられ、このお言葉を頼りに胸の病を救けていただいた定吉は、あらためておぢばへ帰り、ご恩に報いる方途を伺います。すると、教祖は「人を救けるのやで」と仰せられ、さらに「どうしたら、人さんが救かりますか」と尋ねる定吉に「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで」と仰せられました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一〇〇 人を救けるのやで」
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病の平癒に感激した定吉は、「人を救けるのやで」と仰せられる教祖に「どうしたら、人さんが救かりますか」と尋ねます。この逸話を拝読するたびに、私はこの問い返しに胸を打たれます。具体的な手段を尋ねるということは、本気で何かを実行する意志があるということでしょう。この問いには、たすけられたご恩に報いるためならば、どんなに困難なことでも実行するという固い決意を感じます。
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このとき「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで」というお答えとともに、コバシ(註、ハッタイ粉に同じ)を御供として頂いた定吉は、教祖のお言葉に従っておたすけに奔走する日々を送ります。自らのたすかりを願う信心から、人をたすける信仰へ……。運命の転換の物語は、まるで雪に覆われた景色の中で春の兆しを見つけたときのように、私たちの人生に希望を与えてくれます。