手紙と電話 – 世相の奥
2025・5/7号を見る
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明治時代の政治家たちは、よく手紙を書いた。書翰をとおして、たがいに連絡しあっている。だが、大正昭和初期になると、その数はへっていく。原因は電話の普及にある。たいていの通知は、受話器をとおしたやりとりで、かたがつく。そのため、わざわざ手紙で用をつたえたりは、しなくなった。
政治家たちの文通記録は、けっこう史料館にのこっている。なかでも、東京の憲政資料室は、ぼうだいな数の書翰を、積極的にあつめてきた。それらを読めば、明治のいわゆる元勲たちが考えていたことも、あるていど見とおせる。
もちろん、議会の議事録や公的な書類から見えてくることもある。だが、それらは政治家たちの内心を、かならずしもしめさない。会議ではああ言ったが、自分の本音はこうである。政治家の手紙は、そんな政治の裏側を、しばしばあきらかにしてくれる。政治史の研究者ならば、目をとおしておきたい記録群だと考える。
しかし、電話が普及した後の政治史は、そういう裏面にせまりにくくなる。受話器を手にした発話でおわるため、記録がのこらないからである。大正以後を対象とする政治史研究は、明治のそれとくらべ、厚みにかけるかもしれない。
21世紀以後は、電話がいわゆるメール通信にとってかわられた。そして、メールのやりとりは、復元されることがありうる。現代の政治過程研究は、明治的な重層性を回復する可能性がなくもない。まあ、それむきの史料館をこしらえるのは、むずかしそうな気もするが。
さて、政治家たちは、よく料亭へこもって社交をするという。それを料亭政治だと批判する声も、しばしば耳にする。だが、こういう会合はなくならない。今でも、つづけられている。
彼らは、そこで人目のはばかる密談にふけることが、あるだろう。政敵どうしが、ひそかに和解しあうケースだって、おこりうる。そして、そういう時は、とざされた空間が必要になるのだと思う。
政界の領袖たちは、同業者を、基本的にうたがっている。仲間ともくされる者さえ、信じきれない。だから、どうしても対面でむきあいたくなる。俺の前で、どうふるまうか。どんな表情をうかべるか。そこを、ぎりぎりのところまでたしかめたがっているのだろう。