東京・天理ギャラリー「文豪たちの自筆展」 盛況裏に幕 – 天理図書館
2025・6/25号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
秋に天理展(10月15日~)を実施
天理図書館(安藤正治館長)は5月18日から6月15日にかけて、「天理大学創立100周年記念・天理ギャラリー第183回展 漱石・子規・鴎外――文豪たちの自筆展」を、東京・天理ギャラリー(東京都千代田区)で開催。近代日本文学の礎を築いた文豪たちの自筆原稿をひと目見ようと多くの人が来場し、盛況裏に幕を閉じた。同展の“天理展”は今秋、天理参考館で10月15日から11月17日にかけて実施される。ここでは、展覧会の内容とともに、夏目漱石の研究者で同展を現地で鑑賞した中島国彦・日本近代文学館理事長に、目玉資料の一つである『吾輩は猫である』第十章や『坊っちゃん』の研究資料としての価値などについて談話を寄せてもらった。
明治という激動の時代、日本は近代国家への歩みを進める中で、多くの若者が新時代の文化を創出した。その中にあって、夏目漱石・正岡子規・森鴎外の3人の文豪は、それぞれの才を存分に発揮し、近代日本文学の礎を築いた。
今展では天理大創立100周年に寄せて、漱石の代表作『吾輩は猫である』第十章や『坊っちゃん』、子規による俳句革新の記録『俳書年表』、鴎外が催眠術を題材に描いた異色作『魔睡』をはじめとする、文豪3人の自筆資料32点(うち初公開資料は11点)を展示した。
なかでも、天理図書館の新収資料である『吾輩は猫である』第十章や『坊っちゃん』は、近代日本文学の形成過程をいまに伝える貴重な資料として、専門家から高い評価を受けている。また両原稿について、知られていなかった現物が今展で姿を現したことから、NHKや大手新聞社が詳報。SNS上でも大きな話題となり、展覧会には、海外からの来場者も訪れた。
談話
“感興”をもって資料にふれて
中島国彦(日本近代文学館理事長・早稲田大学名誉教授)
天理図書館が所蔵する、明治の3人の文学者の原稿・書簡・手記などの自筆資料を目の当たりにする機会に恵まれてうれしい。その存在は全集などで知られていても、どのような紙や筆記具が使われ、どういう筆跡で綴られているかを直接確かめることができるのは、作家の“生の表現意識”を考察するうえで非常に貴重だ。
漱石の『坊っちゃん』の原稿は、かつての所蔵者が刊行した複製本で親しんでいたが、『吾輩は猫である』第十章の原稿(全62枚)は、詳細な全貌が半世紀以上知られていなかったものであり、その“出現”は、漱石作品の原稿の所在に特に強い関心を持っていた私にとってありがたい限りである。これまで画像が確認されていたのは、わずか4枚だけ。そのため、『定本漱石全集』(岩波書店)の本文も、この自筆原稿によって、もう一度整えられる可能性があり、研究上でも貴重である。
両原稿は、直しの少ない、流れるような筆致で一気にペン書きされている。この原稿は、漱石の創作意識が生まれた現場の息吹をいまに伝える。わずかだが、推敲の跡が確認されるため、今後それを精査することで、漱石の文体形成の理解につながるだろう。
漱石と子規は同年生まれ、鴎外は2人より5年年長だが、いずれも日本の近代文学の骨格をつくった文学者であり、本展のように3人の資料が一堂に集まると、彼らのエネルギーが渦を巻く現場に立ち入るような感覚を覚える。貴重な資料を惜しみなく公開し、3人の文学に光を当てた天理図書館の試みに、心から感謝する次第だ。
10月から実施される“天理展”に来場される方が、展示資料の中の一点でも立ち止まって見入るような体験ができるといいと思う。ぜひ、「これが漱石の『三四郎』の原稿か」「これが子規の句稿か」と、“感興”をもって資料に対してほしい。そして、100年以上前の文豪たちの創作に想いを馳せるひと時を過ごしていただきたい。
下記から、同展を紹介した過去記事がご覧になれます
https://doyusha.jp/jiho-plus/pdf/20250625_tenri-gallery.pdf