「特急あずさ」の“夢”の続き – 話題を追ってスペシャル
2025・9/17号を見る
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不思議な体験から始まる奇跡の物語
車両を譲り受けて民宿を開業し29年

全国から鉄道ファンと子供が集う“夢の空間”
さまざまなメディアで取り上げられて話題に
長野の鈴木浩さん・信子さん夫妻
ようぼく夫婦と「特急あずさ」の不思議な体験から始まる奇跡の物語――。29年前に見た初夢をきっかけに、さまざまな偶然が重なり、鈴木浩さん(74歳・上田市分教会ようぼく・長野県上田市)と妻・信子さん(73歳・同)の元に、JR東日本が運行する特別急行列車「あずさ」の車両がやって来た。多くの若者の夢を乗せ、長野・松本-東京・新宿間を運行した「あずさ」。JR東日本長野支社から譲り受けた「あずさ」の先頭車両は、その翌年から民宿「夢ハウスあずさ号」へと生まれ変わり、元鉄道関係者などに支えられながら、多くの鉄道ファンや子供たちに夢を与えている。初夢をきっかけに走り出した、鈴木さん夫妻と「あずさ」の“夢”の続きを追った。
「29年前の正月、初夢を見た。僕はあずさに乗って旅をし、車窓から安曇野の草原を眺めていた。やがて駅に着くと、ホームには世界中の人がいて、歌い、楽しそうに踊っていた。寝ても覚めてもその情景が忘れられなくて、JR東日本長野支社に『あずさ号を下さい』と伝えにいった」
そう話すのは、民宿「夢ハウスあずさ号」で“駅長”を務める浩さん。民宿内には木製のホームがあり、線路の上に「あずさ」の先頭車両が乗っている。室内に飾られた駅の看板や時刻表、駅員の帽子などは、すべて宿泊客からの頂き物だという。
平成9年に開業した民宿は、「あずさ」の先頭車両に宿泊することができる、鉄道ファンや子供たちにとっての夢のような空間。車両内の「あずさ号乗車日記」には、これまでの“乗客”の喜びが文字と絵で記されている。


「あずさ号がわが家にやって来てから、さまざまな人とのつながりができ、人生が大きく変わった」
初夢をきっかけにJRに直談判
浩さんは20歳のとき、教会長子弟の信子さんと結婚。その後、父親が「肝硬変」を患ったことを機に修養科を志願した。「信仰と真剣に向き合う仲間の姿に感銘を受けた」と振り返る。
40歳のころ、ある事情で家業を離れることに。手に職をつけようと、靴づくりを学び始め、平成8年3月、自身の店を構えた。
この年の正月、「あずさ」に乗って旅をする初夢を見た。どういうわけか、その夢が頭から離れず、3月末、意を決してJR東日本長野支社に「あずさ号を下さい」と直談判。厄介払いされるなか、諦めずに通い続け、7日目に当時の車両課長から「1週間以内に、上田市長が保証人になってくれるのなら考える」と伝えられた。
難しいとは分かっていたが、市長に会おうと市役所へ赴くも門前払い。ところが、思わぬ出会いが状況を変えた。
「市役所へ行った数日後、靴屋としての初めてのお客さんに完成品を届けたとき、その方が偶然にも市長の友人で仲立ちをしてくださった。『この人の夢を叶えてあげてください。私が保証人になります』と書かれた市長の名刺を受け取るという奇跡が実現した」
後日、車両課長を通じて「あずさ」の譲り受けを確約。その後、車両を乗せる線路を造るため、近隣の駅からもらった枕木を敷く作業を、信子さんと共に約3カ月かけて行った。こうして12月15日、鈴木さん夫妻の元に「あずさ」がやって来た。
恩返しとして「人を喜ばせたい」
「もともと、民宿を開く予定はなかった」という浩さん。「あずさ」を自宅に設置してからも靴店を続けるなか、ある日、当時JRで整備士をしていた18歳の青年が「整備させてほしい」と訪ねてきた。その後も定期的に整備してくれるようになり、「あずさ号を生きた車両によみがえらせ、民宿を始めることを勧めてくれた」と明かす。
すでにうわさを聞きつけた鉄道ファンが店にたびたび訪れていたこともあり、「多くの人に夢を与えることができるかもしれない」と民宿を開業。口コミが次第に広まり、さまざまなメディアで取り上げられるようになると、多くの親子連れが訪れるようになった。
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朝6時、鈴木さん夫妻は宿泊客の朝食を拵えたのち、朝づとめを勤める。その後、宿泊客の要望に応じて運転手体験などのサービスを提供していく。
信子さんは「子供は憧れの特急列車の運転手になりきって、とてもうれしそうに遊んでいる。あずさ号とのふれあいを通じて、皆さんが笑顔になってくれるのがうれしい」と微笑む。
浩さんは「40歳で職を失い、生活がままならなかったころ、夫婦で所属教会の朝づとめに日参することで勇み心が湧き、困難を乗り越えていく後押しを頂いた。その後、あずさ号とともに民宿を続ける中で、誰もが夢を持ち、夢に向かって生きることが大切だと実感した。ここであずさ号に乗り、子供たちはもちろん大人も童心に帰る時間が、それぞれの夢を実現していく力になればうれしい。これからも、お世話になった人への恩返しとして多くの人を喜ばせ、夢を持つ大切さを伝えていけたら」と話した。
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なお、9月18日放送の日本テレビ系列のバラエティー番組「見取り図の間取り図ミステリー」で、民宿「夢ハウスあずさ号」の様子が放送される。
文=加見理一/写真=嶋﨑良
「特急あずさ」
JR東日本が昭和41年から、主に新宿-松本間で運行している特別急行列車。52年に発売された歌手・狩人の楽曲『あずさ2号』が大ヒットしたことから、鉄道ファン以外でも知名度が高い。「あずさ」の愛称は公募により決定され、松本市の上高地を流れる梓川にちなむ。鈴木さん夫妻が所有する「・クハ183-1002号車」は雪に強い特別な車両として昭和49年に製造され、複数の路線で運行し、廃車になる平成8年まで多くの乗客を乗せた。