おさづけの取り次ぎから人だすけの一歩踏みだし – 修養科の四季
2025・9/17号を見る
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第1000期
中嶋真一さん
26歳・大阪市・芝原分教会所属
信仰初代。小学2年生のころ、家庭の事情から徳島県にある教会で、里子として生活することになった。
幼少から体が弱く、特に悩まされたのが、一年中鼻づまりや鼻水が治まらない「アレルギー性鼻炎」だった。通院しながら鼻水吸引や処方薬でしのいできたが、症状はなかなか良くならなかった。
社会人になってからは仕事に集中できないほどに悪化し、2年前、大学病院で手術を受けることに。不安を抱えながら臨んだ手術は、予定より2時間も長引いたものの無事終了。以後、鼻呼吸が楽にできるようになり、症状は劇的に改善した。
退院後、所属教会の会長から修養科を勧められた。それまでは「まだその時ではない」と聞き流していたが、手術が無事終わったこと、そして、つらかったときに常に寄り添ってくれた教会長夫妻への恩返しの思いが強まり、昨年10月、修養科を志願した。
周りの人に寄り添って
修養生活では「かしもの・かりもの」の教えにふれ、先の手術を経て、ただ「治って良かった」と思っていたことを反省するとともに、鼻で息をし、匂いを嗅ぎ分けられることは親神様のお働きのおかげであると悟った。そして、借り物である体を、親神様の思召に沿うように使わせてもらおうと心が切り替わり、日々のひのきしんにも勇んで取り組めるようになった。
また、仲間が身上者のたすかりを願って積極的におさづけを取り次ぐ姿を目にし、ようぼくでありながら自ら取り次いだことがないことに思いが至った。
そんな折、共に修養科を志願した幼なじみのAさんが風邪で授業を休んだ。「幼なじみが苦しんでいる。早くたすけていただきたい」との思いに駆られ、詰所に戻るなり勇気を出しておさづけを取り次がせてもらうと、Aさんは翌日復帰できるまでにご守護いただいた。その体験を通じて、おさづけの有り難さが胸に迫るとともに、人だすけの行いが自らの喜びにつながることを実感した。
以降、おさづけを取り次ぐ機会があれば、迷いなく申し出るように。おたすけの実践を通じて、次第に心が前向きになり、「人のために」と自ら行動を起こすことができるようになった。
おぢばでの3カ月間を通じて、親神様・教祖から、自らの成人に必要な気づきを頂いたと感じる。そして、つらいときには必ずおさづけを取り次ぎ、大難を小難にと願ってくれた教会長夫妻への感謝の思いでいっぱいになった。その姿に少しでも近づけるよう、今後はおたすけの心で周りの難渋を抱える人に寄り添っていこうと心を新たにした。
◇
現在は自教会を離れ、新たな職場で福祉サービス業に従事している。教会とは距離が離れたものの、可能な限りおぢば帰りをして、お道に心をつないでいる。これからもおたすけの心を忘れず、相手に寄り添い、少しでも喜んでもらえるようなようぼくを目指していきたい。