母屋の軒下 – 世相の奥
2025・9/17号を見る
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スポーツの選手、いわゆるアスリートたちの姿を、よくテレビの画面で見かける。つぎのオリンピックでは、メダルをとりたい。目標はてっぺん、金メダルだ。そういったいさましい言葉も、しばしば耳にする。
しかし、似たような意気込みを、万国博覧会の関係者から聞くことは、まずない。次回の万博で、自分たちはこういう展示をするつもりである。大阪・関西博とは趣向をかえ、こんな方針でのぞみたい。以上のような意向表明に接する機会は、ほぼ絶無である。少なくとも、テレビではおめにかかれない。
オリンピックと万博では、人びとのいだく関心の度合いが、まったくちがう。オリンピックのほうが、訴求力という点では、はるかに万博を上まわる。じっさい、われわれは前回のドバイ万博で何があったのかを、よく知らない。前のパリオリンピックについては、けっこうおぼえているにもかかわらず。
だが、20世紀のはじめごろまでは、そうでもない。当時は、万博のほうが、より大きな興味をかきたてた。百メートルを何秒で走るかなどということに、往時の人たちは関心をいだかない。どうでもいいことだと、みなしてきた。じっさい、かつての新聞にスポーツ欄はない。
19世紀末に発足したオリンピックは、集客に苦心した。初期のそれは、しばしば万博の余興として開催されている。万博の観客が、ついでに運動競技も見物することを、あてこんで。
万博は産業技術の祭典としてはじまった催しである。当初は、出品された技術の精華が、採点と褒賞の対象になった。優秀だとされた出展者には、金メダルや銀メダルがあたえられたのである。そう、すぐれた人たちにメダルをおくるやりかたは、万博からはじまった。
くりかえすが、初期のオリンピックは、万博のおまけである。そして、そえものめいたこのイベントにも、万博の顕彰方式はおよぶこととなる。オリンピックのメダル授与は、万博のそれに由来する。万博という傘の下にあったから、伝授された手続きにほかならない。
万博はオリンピックに軒の下をかした母屋であった。そのオリンピックが母屋をのっとったわけではない。ただ、そこからは自立し、やがて母屋を凌駕する規模の新居にうつりすんだ。両者の歴史に、世界を舞台とした栄枯盛衰をかみしめる。
井上章一・国際日本文化研究センター所長