また忘れ物 – Well being 日々の暮らしを彩る 11
2025・10/15号を見る
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忘れ物の多さに落胆している。メガネがない。いつも入れているカバンにも、他に置きそうなところにも……。「この文章、すでに読んだような」と読者はお思いだろう。前回財布を忘れたばかり。メガネがないと気づいたのは、次の日のこと。
最後に見たのはどこだったか。財布のとき同様考えて、目に浮かんだのは他でもない、駅の遺失物保管所だ。駅構内の店に忘れた財布がそこに届けられていた。書類の記入にメガネを使い、引き替えに財布を受け取り、ホッとしてメガネを置いてきたに違いない。再び駅へ。昨日「遺失物保管所は×番ホームです」の貼り紙を改札脇に見て、「それだけ多くの人が聞きに来るのだろう」と、応対する駅員に同情した当の私が、二日続けて来てしまっている。
「恥ずかしながら昨日メガネを忘れなかったでしょうか」。恐縮しつつ訊ねると、メガネの預かり物はないとのこと。常にうまく出てくるとは限らないのだ。財布がむしろ幸運だった。
落胆もしていられない。現実問題メガネがないと不便である。老眼のため小さな字が読めない。買い物で価格や消費期限を確認するにも、レジでカードの暗証番号を入力するにも、いちいちかける。
家で用いているのは別のメガネ。店で検眼して作ったものだ。頻繁にかけ外しすると破損しそうでこわくて、外出用には拡大鏡のメガネを、老眼鏡を作った店で選んでもらった。私に度が合い、じょうぶなものを。同じ拡大鏡をまた買うしか……。
「恥ずかしながらどこかへ忘れてしまいまして」。店へ出向いてわけを話す。「恥ずかしながら」と昨日から何回言っているか。
選んでもらい、ついでに老眼鏡のつるも調整してもらって、それをかけて支払いへ。暗証番号を入力し、カードをしまい、レシートをしまい、メガネをしまい、「よいしょ」とカバンを持ち上げたところで「私、拡大鏡の方もバッグに入れましたよね?」。振り向いて、スタッフと目が合い「すみません、もう自分を信用できなくて」。
スタッフの笑顔が救いだった。無表情だったらますます身を縮ませて、逃げるように去るしかなかった。いや、どんな顔をされようと、その場を離れる前に必ず振り向き、忘れ物がないか確かめるようにしなければ。
行方不明だったメガネは家にあった。帰宅後カバンを置く椅子の下に落ちていた。たぶん一日目に遺失物保管所から戻ったとき、カバンから滑り出て。
同じものが二つになってもったいないけれど、いつか出番はあるだろう。そのとき度が進んでいないことを祈るばかりだ。
岸本葉子・エッセイスト