万物を育む 火水風の守護 出産を前にした「真実の安心」- 逸話の季
2025・10/22号を見る
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ようやく、秋らしい気候になってきました。家の前にある柿の木と栗の木には、この1年の実りが見事に結実しています。特に柿の木は、柿色の実にびっしり覆われて緑の葉が見えないほどです。その一方で、しばらく前に初めて実をつけた梨の木は、実を結ぶ気配さえありません。私の思いとしては渋柿より、可愛らしい梨の実を見たいのですが……。自然の営みは、人の思惑の通りにはならないようです。
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明治17年秋のころ、諸井国三郎は4人目の子供が生まれるとき、をびや許しを頂きたいと願い出ました。そのとき、教祖は御手ずから紙を切って、御供を三包み包み、「これが、をびや許しやで。これで、高枕もせず、腹帯もせんでよいで。それから、今は柿の時やでな、柿を食べてもだんないで」と仰せられて、お下げ下されました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一五一をびや許し」
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江戸時代には、妊産婦の死亡率はかなり高く、妊娠・出産を無事に終えるのは極めて困難なことでした。このためでしょうか、妊娠・出産時の不安を和らげるような習俗や習慣がたくさんありました。なかには、かなり機能的な習慣もあったようですが、その多くはあまり実効性がなかったようです。高枕は、江戸時代に主流だった座位分娩に使われましたし、柿は特に妊娠中に避けるべき食べ物の一つとされていました。ところが、教祖は「高枕もせず、腹帯もせんでよい」とし、「柿を食べてもだんないで」と仰せられます。
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人生の中で最も喜ぶべき瞬間の一つであると同時に、多くの人が命を落とす危機の瞬間でもあったこの時代の出産を前にして、人々は運命の不安を和らげるためにさまざまな工夫をしていました。しかし教祖は、そのような心理的な安心を超えた、真実の安心を示してくださったのです。
この世界に満ち溢れている、親神様のご守護にもたれていれば、人生のあらゆる場面において私たちは、もう不安になることはないのですから。
文=岡田正彦







