ネットかマイクか – 世相の奥
2025・10/22号を見る
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選挙は、いっぱんにやかましい。各候補がマイクで自分の政策をうったえる。それも、特定の場所、たとえば駅前広場などだけにかぎらない。閑静な住宅地に、マイクで増幅された声をもちこむこともある。
終盤戦へさしかかると、これが候補者名の連呼だけになる。政策の良し悪しを判断してもらおうという姿勢は、うかがえない。とにかく、名前をおぼえてもらおうという構えが、あらわになる。じつに、うるさい。
騒音防止条例などで、とりしまれないものか。私はそう思ってきたが、なかなかむずかしいらしい。表現の自由を重んじる現行の法規は、選挙活動を抑制できないと、聞かされた。
ただ、ここ2、3年は様子がちがうように思う。我が家のそばでマイクアピールにはげむ候補者は、よほどへっている。名前の連呼にでくわす機会も、あまりない。がいして、選挙はおとなしくなってきた。
さいきんの選挙では、SNSを活用することがふえている。政策や名前の売り込みは、電脳媒体ですます。それがあたりまえになっているらしい。とりわけ、コロナ感染におびえた時期から、SNS選挙は定着したという。なるほど、そのせいで街頭アピールは、少し影をひそめだしたのかと、私は考える。
じっさい、SNSでのうったえかけだと、騒音はおこらない。選挙へは、静かにむきあえる。そんな時代に、住宅街で名前を連呼する候補は、かえってきらわれよう。近年の選挙は、SNSのおかげで騒音の害を駆逐した。もし、そうであるならば、SNSによる社会貢献のひとつだと、みなしてよい。
しかし、いわゆるネットの世界では、誤情報もとびかっている。裏のとれない憶測、うがちすぎる陰謀論、人権侵害にまでいたる個人攻撃、などが。また、それらは、いっせいに一方向へながれることもあるらしい。こういう情報環境でとりかこまれた人に、まともな投票ができるのか。そこをあやぶむ声も、けっこう耳にする。
ただ、これまでの選挙でも、名前の連呼が物を言った。意中の候補をきめていない選挙民の、その潜在意識に自分の名をきざみこむ。そうして、投票所での選択を左右することが、たくらまれた。あれだって、妥当な選挙であったとは思えない。静かになったぶんだけ、今のほうがましだと、私は思っている。