最初に定めた心で最後まで通りきり 精いっぱいの姿を教祖にご覧いただこう – 特別寄稿 教祖年祭の元一日と存命の理 飯降 力 本部員
2026・1/7号(新年号)を見る
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立教189年を迎え、教祖140年祭が執り行われる1月26日まで残り1カ月を切った。年祭活動の“本番”である三年千日を経て、ようぼくお互いは、どのような心構えで年祭当日を迎えればいいのか。「教祖年祭の元一日と存命の理」をテーマに、飯降力本部員に寄稿してもらった。
立教189年の年が明け、いよいよ今月26日に教祖140年祭を迎える。この日を目指して、私たちは心の成人を図るべく三年千日の歩みを進めてきた。残すところ、あとわずかとなったが、最初に定めた心で最後まで通りきらせていただくのはもちろんのこと、日一日と年祭の日が近づいてくるにつれて気持ちを一段と高め、その日を迎えさせていただきたいものである。
そこで、明治20年陰暦正月二十六日に定命を縮めて現身をおかくしになり、やしろの扉を開いて世界たすけへと踏み出されたをやのお心にあらためて思いを致し、教祖年祭を迎えるための心づくりに資することができればと願う。
子供可愛いとの切なる親心
教祖は、私たち人間の真実の親であらせられる。もともと、人間創造における女雛型、すなわち母親の役をおつとめになられた、いざなみのみこと様の魂のいんねんをお持ちのお方である。そのいんねんにより、親神様から月日のやしろとしてもらい受けられてからは、この地上における月日として親神様のお心をもって私たち人間をお導きくだされ、お育てくだされた。
すなわち、現身をおかくしになられるまでの50年にわたり、この世が陽気ぐらしの世界へと立て替わるようにと、つとめをはじめ、数々の大切な教えをお伝えくだされ、しかも自らがその教えを実践して、身をもって私たちが歩むべき手本ひながたをお示しくだされたのである。さらに現身をおかくしになられた後も、それまでと同様に、私たち人間を大きな親心でお見守りくださり、お導きくださっている。
教祖が現身をもってお通りくだされた道中は、困難の連続であったといえる。財産をはじめ、あらゆる物を人に施して難儀不自由の中を通られたばかりでなく、月日のやしろとしての教祖のお立場やご行動に対する周囲の人たちの無理解や嘲笑、反対攻撃が続き、さらには警察や官憲の厳しい取り締まりから、たびたび監獄へ留置された。
それにもかかわらず、教祖はどんな中も常に明るいお心でいそいそとお通りくだされた。そうした教祖のご態度は、何も分からない子供たちの行く末を思い、陽気ぐらしへと導いてやりたい、そして後世にもその確かな道筋を示してやりたいとの、親としての深い愛情の発露であったと拝察する。
親は子供の幸せにつながることならどんな困難や苦労もいとわず、むしろ喜んでその苦労を受け入れるのであり、それが、親心というものであろう。50年にわたる教祖のひながたの根底には、ただひたすらに子供が可愛いとの切なる親心が脈々と流れているのである。
心定めと実行を急き込まれ
教祖が、明治20年陰暦正月二十六日、115歳の定命を25年縮めてまでも現身をおかくしになられたのは、世界たすけを急き込まれるうえからであり、私たち人間の心の成人を望まれる親心からである。これからは、子供である私たち人間が、親がお通りくだされた道すがらを手本として、自らが主体的に世界たすけを推し進め、陽気ぐらしに向かって歩むよう促されたのである。
教祖は、当時の人々が教祖の教えを理解し、受けとめられる頃合いを見定めながら、その時々に伝えるべきことを伝えて、50年の歳月をかけて必要なことをすべてお教えくだされた。おつとめについても、慶応2年から明治15年にかけて、「あしきはらひ」の歌と手振りを教えられたのを皮切りに、道具を揃え、元のぢばを明かされるなどして、だんだんと全容を整えられた。
後は人々が教えられたことを実践するのみであったが、警察や官憲の圧迫干渉が激しかった当時の状況からすれば、それは容易なことではなかった。特に明治19年の冬、おぢばに帰参した信者がおつとめをしたことで、御年89歳の教祖が監獄で御苦労くだされるに及んだことは、人々におつとめの実行を躊躇させるには十分な出来事であっただろう。その人々に対し、明治20年1月1日(陰暦12月8日)、風呂場からお出ましのとき、ふとよろめかれたことをきっかけに、ご自身のお身体を台にして、もどかしく思われるをやのお心を打ち明けられるとともに、親神様の思召に沿いきる心定めと実行をお急き込みくだされた。
そして親神様と人々の間で真剣な問答が繰り返された結果、1月18日(陰暦12月25日)夜からおつとめが毎日勤められるようになり、1月24日(陰暦正月元旦)には、教祖から「さあ/\十分練った/\。このやしき始まってから、十分練った。十分受け取ってあるで」とのお言葉を頂戴するまでに至ったのであった。
おつとめは2月17日(陰暦正月25日)夜まで続けられ、そして迎えた陰暦正月二十六日。教祖のお身上がいよいよ迫り、初代真柱様をはじめとするご一同は、その日の昼すぎ、大勢の信者が参拝するなか、心を定めておつとめの敢行に踏みきられた。このときの教祖のご様子を、『稿本天理教教祖伝』では「陽気な鳴物の音を満足気に聞いておられた」と記されている。この「満足気」という表現からは、ここまで成人すればもう大丈夫だろうとご安心くださり、お喜びくだされているご様子が伝わってくるのである。
揺るぎない信仰信念を培い
教祖は現身をおかくしになられた後も、存命のまま私たちをお見守りくださり、お導きくだされている。そして、いつも私たち子供の成人を待ちかねておられる。しかしながら、私たちは普段の歩みにおいて、その親心にどこまでお応えすることができているのだろうか。
10年に一度迎える教祖年祭は、遅々として進まない私たちの成人の歩みを一段と進めるために必要不可欠な、またとない節目である。「諭達第四号」において「この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めること」と、教祖の年祭を勤めさせていただく意義をお示しいただくところである。
さらにいえば、三年千日の年祭活動は、私たちがご存命の教祖に歩み寄らせていただく旬でもある。私たちが真剣に教祖のひながたを求め、人をたすけ、教えを伝えようと努力する中に、ご存命の教祖は変わりなくお働きくだされる。そのお働きを通して、私たちは教祖のご存在と親心をより一層身近に感じさせていただき、教祖への思いを深めて、揺るぎない信仰信念を培っていくのである。
教祖140年祭は目前に迫っている。明治20年陰暦正月二十六日、人々が親神様の思召に沿いきる心を定め、おつとめを勤める姿にご満足くだされたように、私たちが少しでも成人した姿をご覧いただくことが、教祖にご安心いただき、お喜びいただけることになる。
3年前、年祭活動が始まったばかりのときの自分と、現在の自分を比べてみてどうだろうか。目標を定めて歩んできた道のりを経て、どれだけ成人させていただけたのだろうか。教祖の教えを素直に実践できているだろうか。教祖をより身近に感じさせていただけるようになっただろうか。その歩みは人それぞれであろうが、いまの精いっぱいの自分の姿を教祖にご覧いただけるように、残りの日々を大切に通らせていただきたい。





