教祖をひたすら慕って人をたすけ 15年間で51人をようぼくへと導いて – 信心のよろこびスペシャル
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信仰初代の岩井敏子さん
83歳・東神田大教会教人・大阪市
「教祖、ありがとうございます――」。自らの命をたすけられた恩に報いるべく、教祖をひたすら慕って、人だすけに奔走するようぼくがいる。信仰初代の岩井敏子(83歳・東神田大教会教人・大阪市)は15年前、「乳がん」発症を機にお道の信仰と出合う。思いもよらぬ大節に一時は心を倒しかけたが、親神様・教祖にもたれて通る中で奇跡的なご守護を頂く。以来、教祖の親心を伝えようと、難渋を抱える人のおたすけに奔走し、15年間で51人をようぼくへと導いてきた。自身2度目となる教祖年祭を目前に控える敏子が、いま胸に抱く“信心のよろこび”とは――。
「いつでも、どこでも、教祖の親心を伝えることが私の使命です」
2025年11月某日、初席者を別席場へお連れした敏子は、人生が大きく転換した“あの日”を思い返しながら、ご恩報じへの誓いを新たにした。
◇
平成23年3月11日、東日本大震災が発生した当日に医師から「乳がん」の宣告を受けた。命の危機に直面し、先が見えない状況に追い詰められたその日、敏子に手を差し伸べたのが長年の友人である井元敬(76歳・圓都分教会ようぼく・堺市)だった。「天理の教祖のもとへ行きましょう。神様が必ずおたすけくださいます」
敏子は、この言葉に縋るように、その日のうちに初めておぢばへ帰参。本部神殿で参拝後、教祖殿の合殿に座った瞬間、涙が頬を伝った。
「なんともいえない安心感に包まれ、心に重くのしかかっていた不安が和らいでいった」
この日から12日後の手術当日まで、敏子は大阪から毎日おぢばへ足を運び、神殿おたすけ掛でおさづけを取り次いでもらった。手術では、がんをきれいに取り除くことができるという、鮮やかなご守護を頂いた。
退院後、敏子は子供や孫と別席を運び始め、翌年、長女・由紀子(56歳・東神田大教会ようぼく)と共におさづけの理を拝戴した。
7カ月後、今度は末娘の和恵(55歳・同)が末期の「大腸がん」と宣告された。敏子は自身の経験をもとに、20日間にわたりおぢばでお願いづとめを勤め、和恵におさづけを取り次いだ。手術は成功し、和恵は医師も驚くほどに回復した。
「奇跡のような親神様のお働きを目の当たりにし、教祖のことをもっと知りたいと思うようになった」
こうして修養科を志願した敏子は、あるクラスメートから「親神様・教祖に何度もたすけていただいたのだから、今度は人をたすける側に」と言葉をかけられた。
「たすけられた喜びを人に伝えることで、初めて教祖にご恩返しができると気づいた。教祖から人だすけの使命を与えられたように感じた」
ここから敏子のおたすけ人としての“第二の人生”がスタートする。
『劇画 教祖物語』を別席者に手渡して
敏子は自らが経営する事業を由紀子に託し、友人や知人をはじめ、心臓病に苦しむ近所の女性、借金問題に悩む夫婦などのおたすけに奔走。難渋を抱える人の話に耳を傾け、たすかりを願い、病む人におさづけを取り次ぎ、自身の体験をもとに教祖の親心を伝えた。その積み重ねの中で、15年間で51人をようぼくへと導き、100人以上をおぢばへ連れ帰った。
「毎日出会う人、すべてがおたすけの現場」と語る敏子。「自分の都合を捨て、『一緒におぢばへ帰りましょう』と声をかけて実行すれば、どんな身上・事情も大難は小難に、小難は無難にお連れ通りいただける」。
しかし、時にはおたすけ先の家族から、信仰を強く否定されることもあった。そんな中も、敏子は教祖のひながたに自らの通り方を照らし、「日常から気持ちを引き締め、教祖の道具衆としてお使いいただきやすい『なるほどの人』を目指してきた」。
また、別席へと導いた人には『劇画 教祖物語』(道友社刊)を手渡すとともに、おさづけの理を拝戴した人にも時々のお道の本を贈っている。
「『教祖物語』を初めて読んだとき、慈愛あふれる教祖の親心を身近に感じることができた。別席のお話がより心に治まるよう、おぢばにお連れした方々に読んでいただいている」
常に“おたすけのアンテナ”を立てる敏子の姿に信頼を寄せ、悩みを相談する人は少なくない。
50年来の友人である渡部孝子(76歳・同)は10年前、夫・敏明(85歳・同)が「肺がん」のため歩行困難になった際、敏子に電話で相談した。
すぐに駆けつけた敏子が、「教祖が常に見守ってくださっている。必ずおたすけいただけます」と伝え、三日三晩、自宅に通っておさづけを取り次いだところ、敏明は歩けるようになるというご守護を頂いた。その姿に感動した孝子は、車いすの夫を伴って別席を運び、ようぼくの仲間入りを果たした。
「身上に苦しむ夫を前に、何もできない自分が情けなくて心が沈んでいた。しかし、お道の信仰と出合い、おさづけの理という宝物を戴き、心が救われた。いま、夫は寝たきりだが、これだけは私のつとめだと信じ、日々懸命に取り次いでいる。大変な毎日も、親神様・教祖にもたれて教えを身に行っているからこそ前を向ける。岩井さんには感謝しかない」
また、孝子の信仰は従妹の今川千草(67歳・同)と桜井真理子(65歳・同)姉妹につながっている。
4年前、真理子の夫が仕事中の事故で四肢まひとなり、真理子が塞ぎ込むように。妹を支えようと千草が寄り添うなか、二人は孝子からお道の話を聞くようになった。
その後、敏子の導きもあって千草と真理子は別席を運び、おさづけの理を拝戴。後日、真理子が初めておさづけを取り次いだとき、夫の左足がわずかに動いたという。
真理子は「別席のお話を聞くたびに心が落ち着いていった。夫に見せていただいたご守護の姿から、素直な心で教祖の教えに沿って通ることこそ、夫がたすかる道につながると確信した」と話す。
孝子、千草、真理子の3人は、敏子について「岩井さんは有言実行の人。教祖の教えを自ら体現されているからこそ、私たちは素直に信じてついていける」と口をそろえる。
“旬”に布教活動への一歩を踏み出し
6年前、コロナ禍により外出自粛が要請され、おたすけ先に通うことが困難になった。こうしたなか、敏子は、水墨画が得意な由紀子の協力のもと絵手紙を作成し、『人間いきいき通信』(当時)を添えて、おたすけ先に毎月送るようになった。
コロナ禍の“壁”を越えた現在、敏子は再びおたすけ先を回っている。
2025年6月、仕事でつながりのあった須藤紀子(56歳)と再会した際、「出産を控える娘の赤ちゃんが逆子で不安」と打ち明けられた。「一度、教祖のもとへ参りましょう」と声をかけ、紀子は別席を運び始めた。
「別席のお話を初めて聞いたとき、自然と涙があふれた」と振り返る紀子は、敏子の助言をもとに自らの心のほこりを掃除しようと努めた。そして迎えた出産当日、紀子が教祖に懸命にお願いするなか、娘は元気な赤ちゃんを無事出産した。
「親神様・教祖はもちろんだが、この道に導いてくださった岩井さんに感謝の気持ちでいっぱい。この恩を、精いっぱいお返ししたい」。2025年12月に7席目を運んだ紀子は、晴れやかな表情で語る。
敏子は「『世界中は皆我が子』とおっしゃる教祖から見れば、お道を知らない人は迷子になっているようなもの。そうした方々をご存命の教祖のもとへお連れして、教祖にお喜びいただきたい――。その思いが私の原動力になっている」と話す。
敏子は毎月1日、必ずおぢば帰りする。本部神殿、教祖殿、祖霊殿を参拝し、「記念建物」を訪ねる。
その際、共におぢばへ帰るのが、現在、美容エステ会社を営む娘の由紀子だ。敏子の身上を機に共に信仰の道を歩むなか、親戚や友人、スタッフ、利用者らをおぢばへ誘い、ようぼくへと導いている。
由紀子は「信仰を始めてから、母は明るくいきいきとした性格に変わった。教祖をお慕いする母の姿を見ているうちに、私自身もこの信仰が大好きになった。これからも、そんな母と共に一人でも多くの人をおぢばにお連れしたい」と語る。
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2025年11月某日、大阪市の西九条駅前。寒風が吹きつけるなか、敏子は地域の教友と街頭に立ち、「よろづよ八首」を高らかに奉唱していた。
「教祖140年祭を前に、教祖の教えをもっと伝えたいと思って」。“成人の旬”に、従来のおたすけに加えて、布教活動への一歩を踏み出した敏子。その胸には、教祖を慕い、道具衆としてお使いいただく喜びがあふれている。
「教祖に必要とされているからこそ、いまも生かされているのだと思い、ここまで通ってきた。いまの一番の願いは、教祖が残してくださった宝であるおさづけの理を一人でも多くの人に戴いてもらうこと。これからも、数多のご守護をお与えくださる親神様・教祖の恩に報いるべく、生涯をかけて布教の道を歩んでいきたい」
(文中、敬称略)
文=久保加津真









