親里の朝を告げる冬日影 尽くした真心は必ず届く – 逸話の季
2026・1/21号を見る
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新しい年を迎えました。人生の区切りの一つとして、それぞれが目指してきた教祖140年祭が勤められる年です。自らの足跡を振り返って、心から満足できる人もいれば、もう一歩足りなかったと感じる人もいるかもしれません。とはいえ、まずは間近に迫る年祭の日に、この日を無事に迎えられた感謝の祈りを捧げられるように、残りの日々を過ごしたいものです。そうすればこの機会に、また前を向いて進んでいくことができるはずです。
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ある年の暮に、一人の信者が立派な重箱に綺麗な小餅を入れて持ってきました。しかし、教祖は「ああ、そうかえ」と仰せられただけで、ご満足の様子はありません。それから2、3日して、別の人が粗末な風呂敷包みに少しばかりの餡餅を持ってきました。このとき教祖は「直ぐに、親神様にお供えしておくれ」と、非常にご満足の体であらせられました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「七 真心の御供」
先の人は相当な家の人で、正月の餅を搗いて余ったものを持参しましたが、後の人は貧しいながらもやっとのことで搗いた、搗き立ての正月の餅を持ってきたのです。教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜びくださるのが常でした。
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逸話篇の中でも、特に考えさせられるエピソードの一つです。何か一つ心を定めて自分なりに精いっぱいに頑張っても、結果はいつも綺麗な重箱に収めた小餅のように見栄えのよいものになるわけではありません。それでも教祖は、目に見える形よりもその人の尽くした真心をお喜びくださるのです。そう考えると、少し気持ちが楽になります。しかし一方で、自分の胸に手を当てて、幾度も反省を繰り返しているのは私だけではないでしょう。
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今年の本部「お節会」は、テント会場で温かいすまし雑煮を、おいしく頂きました。しかし、温かい“新春の味”を頂いた喜び以上に、大きな声で歓待してくださる方々の笑顔にふれて、この1年を前向きに生きていく気力を頂くことができました。やはり人の真心は、必ず誰かのもとに届きますね。
文=岡田正彦







