神一条の話 – おやのことば・おやのこころ
2026年3月21日
おやのことば・おやのこころ この屋敷はな、神一条の話より外には何も要らん、と、神様が仰せになりますで。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』159「神一条の屋敷」
神苑でアタミザクラを目にすると、春の確かな訪れを感じます。陽光に誘われるまま外へ出たり、年度の変わり目に旧交を温めたりする方も多いのではないでしょうか。
人と会えば、近況報告や世間話に花が咲きます。そんなとき、後から「あそこで、この神様の話をしたら良かったな」と反省することが多々あります。掲出のお言葉を実践するには日ごろから教理に親しみ、自分なりに消化する必要があるでしょう。
一方で、シンプルなひと言で伝わる神様の思いもあります。先日、ある方と一緒にひのきしんをしていると、ふと修養科を志したきっかけを話してくださいました。聞けば大教会の神殿講話で「今月は修養科生が一人もいなかった。ぜひ来月は一人でも」と聞いたとき、「それなら自分が」と心が動いたそうです。その方の理を真っすぐに受け取ろうとする心構えを物語るエピソードですが、それを引き出した直球の声かけにも神一条の精神を感じました。
いま長男は3月末に大教会で行われる少年会総会に向けて、おつとめの練習に励んでいます。総会に向けては身近な方をはじめ、多くの親御さんを通しておつとめの役割をお願いしてきました。なかには、日程や子供さんの気持ちのうえから、どうしても受けていただけないケースもあります。それでも、親から子への「おつとめを勤めてほしい」とのひと言も、まぎれもない“神一条の話”だと思うのです。
(大塚)







