親神様はいつも私たちのそばに – 修養科の四季
第970期 大野菜穂さん 25歳・天理市・名野川分教会所属
小学4年生まで、家族で上級の教会に住み込んでいました。およそ30人の大所帯で共同生活を送るなか、苦しいことも喜びに変えて通る両親の姿を見てきました。
大学卒業後、天理市内に住んでいたものの、仕事に追われる中で信仰から遠ざかってしまい、本部神殿へ足を運ぶ機会は月1回ほどに。また、教会行事も何かと言い訳をして断ることが少なくありませんでした。
その後、結婚を機に3年間勤めた仕事を退職。「これまでの通り方を改め、自身の信仰を見つめ直す良い機会になるのでは」と思い、修養科を志願しました。
同じ身上に神意悟り
長い間お道の教えにふれる機会が減っていたこともあって、授業で親神様の不思議なお働きの話を聞いても「本当にそんなことがあるのかな」と、正直なところ疑いの心がありました。
そんななか、修養生活が始まって2週間が経ったころ。同じ詰所の修養科生Aさんが左足の痛みを訴え、私がおさづけを取り次がせていただくことに。数年ぶりのおさづけ取り次ぎとあって緊張しましたが、Aさんにたすかってもらいたい一心で取り次がせていただきました。
すると翌朝、Aさんの左足の痛みがすっきり治まっていたのです。鮮やかなご守護に大変驚きましたが、そのときは、偶然なのかもと思っていました。
ところが、今度は私の左足がAさんと同じように痛み始めたのです。痛み止めの薬を飲もうかと迷いましたが、この日は薬に頼らないことにして、朝づとめへ向かいました。すると、おつとめが終わると同時に痛みが治まったのです。
同じ詰所の修養科生Bさんに、その出来事を話す機会がありました。すると、Bさんもその日、私とAさんと同じように左足の痛みを感じたというのです。Bさんは詰所の宿泊者におさづけを取り次いだところ、自らの左足の痛みが和らいだと教えてくれました。
3人の修養科生に同じように身上をお見せくださり、いずれも鮮やかにご守護を下さった。この一連の不思議な出来事に思いを致したとき、親神様のお働きを信じきれずにいた私に、「親神様はいつもそばにおられる」と、教祖が教えてくださったように思いました。
こうした体験を通じて信仰への疑いの心が晴れた私は、これからは親神様に素直に凭れて通ろうという心が次第に固まっていきました。それ以後は、身上を抱える人に自ら進んでおさづけを取り次がせていただくようになりました。
修了を前に、まだまだようぼくとして未熟ではありますが、これからは困っている人に積極的に声をかけ、“たすけの手”を差し伸べられるような、実動するようぼくへと成人させていただこうと心に誓いました。
◇
修養科を了えた私は、実家へ戻りました。修養科で学んだことを胸に、身上を抱える祖母に早速おさづけを取り次がせていただきました。
これからも親神様のお働きに感謝し、おたすけ心を持って、日々の生活を送っていきたいと思います。