心がうれしくなって晴ればれする世界へ 増井りん(上) – 信心への扉
世界一れつをたすけたい。この親なる神様のお心を、教祖は、私たち人間に分かるようにお示しくださいました。
その教祖に導かれた先人は、真に「生きる」ということに目覚めて、この道を歩まれました。
こんにち、世界には困難な問題が山積みされていますが、人間社会における利権などが複雑にからみ、問題の解決にいたる処方箋は簡単にはみつかりません。
けれども教祖は、まずは一名一人、すなわち、私という一人が誠の心で教祖の「ひながた」を辿らせていただくことが、真の平和世界へいたる道であることを教えてくださいました。
教祖は「月日のやしろ」として、口に筆に親神様の教えを説き記され、そして「ひながたの親」として陽気ぐらしの「ひながた」を示し、みずから先頭きってお通りくださいました。
その教祖「ひながた」は、『稿本天理教教祖伝』に明らかにされています。もう少し具体的に、ということになりますと、教祖に導かれた道の先人の姿をとおして、学ばせていただくことができます。
そこで、ここでは特に、この道の信心に生きた女性を取りあげ、教祖「ひながた」との接点を求めたいとおもいます。
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教祖が身をもって通られた幕末から明治という時代において、当時の社会的な制約のもとに生きるという側面が、特に女性には顕著です。
その中にあって、教祖は、当時、大切とされた家柄や財産という形あるものによってではなく、一名一人の心次第、その心通りにご守護をいただく道をお示しくださいました。
先人は、手足を縛る縄が解かれるような、靄が晴れて青空がひろがるような感激をもって、その教えを受けとめたのではないかとおもうのです。
「真っ暗闇の世界」から
増井りん(1843〜1939年)という先人は、明治7(1874)年にこの道に手引かれました。
大阪府中河内郡大県(現、大阪府柏原市大県)に生まれ、家柄も財産もある豊かな家の一人娘として育ちます。19歳で婿養子を迎え、3人の子供に恵まれ、何不自由なく暮らしていましたが、その暮らしは30歳のとき、両親、ついで頼りの綱の夫を亡くして一変します。
さらに2年後、その両目が一夜の間につぶれて見えなくなります。医薬の限りをつくして回復を願いましたが効果はなく、小さな子供を抱えて絶望の底にあったとき、人づての話をとおして教祖の教えに導かれます。
代理の人が、おぢばで書き記してもらった書き物には、身の内は神の「かしもの・かりもの」「いんねんの理」「八つのほこり」などの教理が詳しく書かれていました。さらに、三日三夜のお願いをするときは、まずこの「教の理」を心に治めてからするように、と書き添えがありました。
りんは、その教の理を「なるほど」と心に聞き分けられます。
「こうして、教の理を聞かせて頂いた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます」
「二本の杖にすがってでも、たすけ一条のため通らせて頂きます」
と、精神を定め、三日三夜のお願いに掛かりました。
三日のお願いが明ける夜明けとともに、その目は全快するのです。「真っ暗闇の世界」から一転して、「有りがたい、心が嬉しうなって晴ればれする」世界へ出たといわれています。
その喜びをもって、97歳のお出直しまでの65年間、我が身我が家を忘れ、神一条に徹しきってお通りになりました。
何をするのも神様の
神様の「おさしづ」に、
「我が身捨てゝも構わん。身を捨てゝもという精神持って働くなら、神が働く」(明治32年11月3日)
と、我が身を捨ててもかまわないという精神に乗って、神様はお働きくださると諭されています。神様は定めた心にお働きくださったということです。
それからは、家業を人にまかせて、たすけ一条の歩みが始まります。
おぢば帰りを重ねながら無我夢中で河内布教に徹した数年ののち、ご婦人がたと交代でおやしきの御用をつとめます。そして明治12年からは、教祖のお守役をおつとめになるのです。
おやしきでの勤めは、炊事まわりや風呂焚きなどの下働きでしたが、おやしきへ足が向かうと「心が晴ればれした」と語っています。
ある寒の日に、泉水の掃除をみずから買って出ます。教祖のお孫さんにあたる梶本ひさ(のちの山澤ひさ)と一緒に、素足になって冷たい水の中に入り掃除をされます。二人の足は真っ赤になりました。美しくなった泉水をごらんになった秀司先生は、たいへん喜ばれ、「まあ、冷たいやろう」とおっしゃいました。りんは、
「これで、一度に温うなりました」
と、そのときの喜びを記しています。
また、ある日のこと。便所の中にたいへん汚いことをしてあったのを、頼まれないのに、誰にも気づかれないうちに、きれいに掃除をされました。
「まああんな、汚いこと、誰したやらわからんのに、掃除、人のしらん間にしておくとは、誠の人やな」
「結構の理を聞き分け、また結構のおたすけをいただいて、その心がちがいます」
このような、おやしきの人々の言葉から、教の理を聞き分けて心に治めて通られた信心を伺うことができます。
そのうえ、川で大釜を洗ったり、薪でかまどや風呂を焚くときであっても、年中きちんと帯をしめてつとめられたということです。
何をするのも神様の御用をさせていただいているという、気持ちのあらわれであったとおもうのです。
(つづく)
文・伊橋幸江 天理教校本科研究課程講師
いはし・ゆきえ。平成2年、天理教校本科卒業。同年から天理教校本科研究室に勤務。天理大学非常勤講師。