「孤立」が深刻化するなか – 視点
新型コロナウイルスの流行が長期化するなか、孤独問題が深刻化しているという。今年、孤独・孤立対策担当大臣が新設されたとの報道もあった。本来、孤独は主観的な感情であり、その感覚は人によって異なるものだ。こうした個人の内面に関わる事柄に国が立ち入るということは、それだけ「望まない孤独」「社会的な孤立」に苦しむ人が多いということだろう。
たとえば、昨年の自殺者数は11年ぶりに増加したが、なかでも女性や若年層の増加は、コロナ禍で失業して社会的に孤立するなど、頼る人や相談する相手もなく苦しんでいる人たちの現実が表面化した姿であるともいわれる。
孤独・孤立問題は、いじめ、虐待、自殺、家庭内暴力やシングルマザーの貧困などにも影響しているといわれ、さまざまな分野からの支援が求められている。自殺や孤独対策に取り組むNPO法人では、今年の相談件数が1日200件を下回る日がなく、「孤独が苦しい、たすけて」との相談は増え続けているという。
哲学者の三木清は「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にある」と言ったが、「望まない孤独」は家族やコミュニティーを持つ人たちの中にもある。であるならば、私たちの周囲にも、誰にも悩みを打ち明けられずに一人で苦しんでいる人はいるはずだ。
私たちようぼくにできることは何だろうか。教祖は「やさしい心になりなされや」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』123「人がめどか」)と仰せられた。心のアンテナを張り、一人で悩む人はいないか目を凝らし、声をかけ、話に耳を傾ける。その優しさは、ひと言の言葉や差し伸べる手となり、たすけ心へとつながっていく。
親神様・教祖の親心に気づき、教会が拠り所となり、ようぼく一人ひとりの優しい心にふれることで、孤独感や孤立はいつしか薄らいでいくに違いない。「孤独なんかじゃない」。いま、一人で悩む人たちへ届けたいメッセージである。
(加)