おやのことば おやのこころ(2021年4月25日号)
苦労は楽しみの種。どうでもこうでも楽しみ働けば、これ種と成る。
「おさしづ」明治33年12月22日
24年前、妻はお道とは全く縁のないところから教会へ嫁いできました。大教会長様のお話を受け、結婚と同時に夫婦で大教会に1年間住み込むことに。さらに大教会のほか、教務支庁や詰所でも御用をさせていただくことになると、何度となく引っ越しを繰り返し、自教会へ戻るころには、5年の歳月が経っていました。その間には、身重の妻と幼い長男を大教会に置いて、私だけ「布教の家」に入寮し、1年間留守にした年もありました。
当時を振り返ると、言葉にできない苦しい節を頂戴しながらも、周りの方々のおかげで、日々楽しく勇んで過ごしていたことが思い出されます。
「苦労は楽しみの種。どうでもこうでも楽しみ働けば、これ種と成る」
男児に恵まれない家系ながら、教務支庁で長男、大教会で次男、詰所で三男、そして自教会へ戻ってから四男と、御用を頂くごとに授かりました。
また、お道のことを全く知らなかった妻にとって、大教会、教務支庁、詰所に身を置いてつとめたことは何よりのお道の勉強となり、これ以上の有り難い経験はありませんでした。
さらに長男は、高校時代に危うく命を落とすところをたすけていただき、その大節から教会長後継者であることを自覚し、現在、天理大学で勉学に励んでいます。
すべての苦労は、のちのちのご守護の種であると、実感せずにはいられません。
(な)