“宝の山”へ登る道を – 懸賞エッセー入選作品
テーマ 私の「陽気ぐらし」
小野﨑宰 64歳・宇泉分教会長・栃木県矢板市
「神様なんて、どこにいるんだ!」
Yさんは激高した。私が話しかけた親神様の話を、彼はこう怒鳴って拒絶した。
Yさんとは、数年前のにをいがけで知り合った。彼は四畳半ほどの小屋に一人で住んでおり、時折、訪ねていた。
知り合って2年目の正月。鏡餅のお下がりを届けに立ち寄ったところ、表情はうつろで呂律が回らない。三日前から左半身がまひし、立てなくなったという。手元に積んでいた薪で暖を取り、溜め置きの水だけを飲んでいた。電話がなく、助けを求められない。そこへ私が訪ねたのだ。教祖のお導きに感謝した。
その後、Yさんは半年間の入院治療を経て、歩けるまでに回復。しかし、これまでのように自転車に乗れず、買い物へ行けなくなった。
私は教祖から任されたおたすけに奔走した。Yさんを車に乗せて買い物へ行く。買い出しを終え、彼の小屋でひと休みしたときに、私が親神様の話を始めたところ、冒頭の暴言に続いて「いるなら、ここに連れてきてみろ!」と声を荒らげた。
いつか神様の存在を知ってもらえるようにと、彼のもとを毎週訪ねた。そんななか、彼の話を聴くうちに、不遇な境遇に胸が痛んだ。不幸が続くたびに天を呪い、自分の力だけを頼りに生きてきたようだった。
親切の限りを尽くしたつもりである。だが、Yさんとの別れは突然訪れた。
一昨年2月、数日ぶりに訪ねると、頭から毛布をかぶったまま冷たくなっていた。極寒のなか、ストーブの火が消えかかって寒くなっても、起き上がる気力が出ずに力尽きたようだった。
その夜、9年間にわたるおたすけについて考えた。おぢばに誘っても断られ、おさづけの取り次ぎも拒絶された。私がしてきたことは、果たしておたすけだったのか――。抗えない虚しさが心の奥底まで染み込んだ。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』に「宝の山」というお話がある。教祖が仰せられる宝とは、目に見えない徳であり、陽気ぐらしの姿が身の周りに起こってくることだと思う。信仰が浅いとき、この教えを信じていいのか迷ったとしても、迷いがなくなって地に足の着いた信仰生活に入った先に、宝の山へ登る道がある。にをいがけ・おたすけでの苦労の道中が、宝の山に至る道筋であり、陽気ぐらしへ続く道であると思う。そう信じて実践してきたつもりが、この結末である。
彼が出直した翌朝、別件で市役所を訪れると、社会福祉課長が「身内の方が遺骨の引き取りを拒否していて……」と打ち明けてくれた。教会の納骨堂のことを話すと、即座に認可された。教祖が絶妙なタイミングで導いてくださった。出直し後ではあるが、Yさんが神様とつながることができたと思い、感涙した。
後日、彼の身内の人や支援者が数人、教会へ参拝に来て、納骨堂に花を手向けてくれた。彼が導いてくれたのだと思う。
私は、これからも陽気ぐらしへの山道を懸命に這い上がっていきたいと強く決意した。
(要旨)