ご守護に気づく“発想の転換” – 視点
8月8日は東京オリンピックの閉会式の日だ。
今回の五輪は、世界的な新型コロナウイルスの流行により開催が1年延期され、東京都に「緊急事態宣言」が発出されるという、尋常ならざる事態の中で実施された。開催に当たっては、各方面から賛否の意見があった。とはいえ、こうして行われた以上、成功裏に閉幕することを祈りたい。
大会運営に携わった関係者各位、そしてコロナ禍に向き合う私たち一人ひとりの真実ある心がけが親神様に届いて、大難を小難、小難を無難にお導きいただき、つつがなく閉会を迎え、その後のコロナウイルスへの対応が世界各国で滞りなく進むことを願いたい。
オリンピックには、親里の学校で学んだアスリートたちが10人以上出場した。なかでも柔道の大野将平選手は、前回大会に続いて連覇を果たした。彼らを含め、出場した世界中の選手たちのひたむきな姿に、多くの人々が勇気と元気をもらったことは間違いないだろう。すべての選手に大きな拍手を送りたい。
さて、8月24日からはパラリンピックが開幕する予定だ。同大会は、障害のあるアスリートによる世界最高峰の国際競技大会と位置づけられている。日本パラリンピック委員会は「多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会」「発想の転換が必要であることにも気づかせてくれる」と、その意義を述べている。
パラリンピックの起源は、ドイツ人医師ルードウィッヒ・グッドマン博士が1948年に始めた、戦争による脊髄損傷兵士のリハビリのためのアーチェリー大会にある。当初、車いすに乗った16人の選手によって実施された。博士は治療時に「失われたものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」と励ましたという。
人はつらいことがあると、そこに気を取られる。しかし、親神様のご守護は必ずどこかに存在する。まず、それを見つめることが、人が幸せになる鍵だ。その“発想の転換”を人々に促し、陽気ぐらしへ誘うことが、われわれ道の者の務めであろう。
(松村登)