不思議な再会からたすけ一条を心定め – 修養科の四季
第949期
森川稔之さん
27歳・福岡市・西北分教会所属
教会長の長男として生まれ、信仰熱心な両親のもとで育った。小さいころからラグビーに熱中し、天理高校、天理大学、そして社会人でもプレー。20年にわたってラグビーに情熱を注いだ。
しかし一方で、お道の教えや親神様の存在が自分自身の中に十分治まらず、教会長後継者として不安を抱えていた。
こうしたなか、ラグビー人生にピリオドを打つタイミングで一念発起し、あらためて今日まで結構にお連れ通りいただいたことへの恩返しと、教理を勉強するために修養科を志願した。
7年前のバイク事故でおさづけの取り次ぎ受け
修養生活を送るなか、各所で身上者におさづけを取り次ぐ仲間たちの様子を見て、大学時代のある出来事を思い出した。
7年前、バイクを運転中に車と衝突し、数メートル先の地面にたたきつけられた。意識が朦朧とするなか、ある男性が、横たわる私に駆け寄り、おさづけを取り次いでくださった。すると、生死をさまようほどの大けがにもかかわらず、奇跡的に回復。半年後には部活動に復帰することができた。その男性にお礼を伝える機会は得られなかったが、この鮮やかなご守護に、親神様のお働きとありがたさを身に染みて感じた――。
修養科の初めごろ、クラス感話の際に、その出来事について話した。すると、あのとき、私におさづけを取り次いでくださった男性が、なんと同じ期の先生であることが判明した。不思議な再会を喜ぶとともに、「親神様の親心によって、おぢばに引き寄せられたのだ」と、親神様のお計らいを感じずにはいられなかった。
こうしたなか、この親神様の神意を自分なりに考えるようになった。大けがをご守護いただいてからも、親神様・教祖はもとより、両親や多くの方々が温かく見守ってくださったからこそ、20年の長きにわたって大好きなラグビーに打ち込むことができたということに思いが至った。
感謝の思いで胸がいっぱいになり、「この道を一生かけて通る」決意が、おのずと固まった。
かつて、大けがを負った私に、おさづけを取り次いでくださった先生は「あのとき、事前に心定めをしていたからこそ躊躇なく取り次ぐことができた」と打ち明けてくださった。私も先生に倣って、修養生活中に一回でも多くおさづけを取り次ぐことを心定めした。
こうして積極的に仲間におさづけを取り次ぐようになると、ある事情から言葉を話せなくなった女性Aさんに、おさづけをする機会が与えられた。懸命にAさんのたすかりを願ったが、自らの無力感を味わったときには、教祖殿へ足を運んで教祖の御前にぬかずいた。
そんななか、3カ月目の初めごろ、Aさんの声が出るようになり、簡単な会話ができるようになった。
「Aさんのたすかりを願う心を、親神様に受け取っていただけたのかもしれない……」。そう思うと、胸が熱くなった。
そして、知らずしらずのうちに成人の道へ導かれていたことに気づき、これまで曖昧だった親神様の存在が、確かに心に治まっていくように感じた。
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教会での青年づとめを経て、4月から布教の家「大阪寮」でおたすけに励んでいる。そんななかも“たすけ心”がまだまだ足りないと反省する日は少なくない。今後は、どんな場所でもおさづけを取り次げる布教師を目指していきたい。