懸賞エッセー入選作品 – 母が遺した一灯
テーマ 「かしもの・かりもの」を心に
天谷直純 77歳・北野櫻分教会ようぼく・札幌市
これまで幾多の人生の変転を経て、妻と共に老境の歩みに至っている。果たして、この人生は偶然の産物か、あるいは自身の意思によるものか、それとも――。
長年の疑問が、修養科での経験によって腑に落ちた。「身体は神からのかりもの、心のみが自分のもの」。この教えに、すべての疑問に対する答えがあることを知るまでに、随分と時間がかかった。
◇
戦後間もなく、父が肺結核を患い、にをいが掛かった。父は衰弱した身体を押して、おぢばへ帰った。しばらくして戻った父が、よろけるようにバスから降りてくる光景は、今もはっきりと覚えている。父はその半年後に、母と二人の幼子を残して出直した。
夫の死という悲しみを越え、母の信仰は確固たるものになった。教会の月次祭には家族3人で10キロ余りの山道を徒歩で越え、交通の便が良くなると路線バスを乗り継いで参拝した。
母は折にふれて、わが家のいんねんについて話した。しかし少年だった私には、その意味するところが理解できないまま、多感な時代が過ぎていった。
長じてからは、そのことが心の奥に引っかかってはいたが、朝夕のおつとめは疎かにし、仕事にかまけて教会からも足が遠のいた。故郷に住む母が訪れた際、神棚に向かって一心におつとめをする姿に、自身の不甲斐ない信仰の姿を重ね合わせ、たじろぐばかりだった。
定年を迎えて“第二の人生”が始まると、老いた母は盛んに修養科を勧めたが、「そのうちに」と言ってなだめすかした。だが、歳を重ねるごとに私の中で修養科への思いが募っていった。いつも見守ってくれた会長さんのこと、母の思い、何よりも父の生きた年月を遥かに超えた寿命のご守護への感謝――。私はようやく後期高齢者入り目前にして、おぢばへ向かった。
母はすでに出直していたが、欣快の思いで遠くから見てくれているであろうことを心の糧に“修養の日々”を送った。
しかしある日、詰所の浴槽を掃除していたときに転倒し、肋骨3本を折った。神のひざ元で、どうして苦難を受けるのか、痛みに耐えながら自問自答した。
思い返せば、これまで何度か死の危機をかいくぐった。バイク事故で道路下へ転落したこと、横断歩道で私の顔を擦るような距離をトラックが走り抜けていったこと――。そして命永らえて、たどり着いた修養科の道。これらの節も、神が私に与えた信仰への目覚めを促す“メッセージ”だったかもしれない。そう気がつくと、骨折のことなど忘れ、深い幸福感に浸っていた。
◇
人間とは何か。なぜこの地で生きるのか。それは神がなしたことであり、理屈でも哲学でもない。素直な心で神と向き合う人生から、陽気ぐらしの本筋がはっきりと見えてくるだろう。
母が遺した一灯の明かりは、私の中で大きな光となって煌めいている。いつまでの命かは知る由もないが、神の差配のままに、感謝の心でこれからも通っていきたいと思う。
(要旨)