おやのことば・おやのこころ(2021年9月19日号)
言葉一つがよふぼくの力なら(中略)皆んなそれに凭れて若木が育つ。
「おさしづ」明治28年10月7日
先日、若い会長さんが聞かせてくれた話です。
彼は毎月、大教会の神殿当番に行くときには、必ず大教会から10キロほど先のおぢばに参拝してから行くのですが、その日は和歌山の自宅を出ようとすると人が来たり、雑用を頼まれたりで、出るのが遅くなってしまい、おぢばに参拝してからでは時間に間に合わないだろうと直接、大教会へ向かいました。
明くる日、当番を終えて、「おぢばに参拝しなかったなあ」と思いつつも予定があるので帰りを急ぎ、しばらく走ったところで赤信号で停車しました。前にはトラックが1台。そのとき、「おぢばにお参りしていない」という思いが込み上げてきて、Uターンして引き返そうと、すぐ隣の右折車線に移りました。すると、いま自分がいた場所にワンボックス車がスーッと来て止まった次の瞬間、後ろから猛スピードで走ってきたトラックがワンボックス車に追突し、前のトラックとの間に挟まれて大破したそうです。数秒前まで自分がいた場所です。幸い、大きな車で運転手は無事のようでしたが、軽自動車の自分だったらひとたまりもなかっただろうと思うと、「たすけていただいた」という実感で震える思いがしました。あんなに感激しておぢばに参拝したのは初めてです、と興奮が蘇ります。
このような瑞々しいふしぎ話が若い信仰を育てるのだと常々思います。人が集まると、互いに身近なふしぎ話を楽しむような教会になりたいものです。
(人)