もう少しお借りいたします – 懸賞エッセー入選作品
テーマ 「かしもの・かりもの」を心に
坂田鏡介 83歳・本杉安分教会長・東京都足立区
のっけから尾籠な話であるが、トイレでお通じがあると、拍手を打ってお礼を申し上げている。あるときから、小便の際も同じようにお礼をするようになった。一時期、尿のことで悩んだからである。
平成23年、左腎臓にがんが見つかった。夏の終わりから背中が痛みだしたので、整形外科で診てもらった。レントゲンを撮ったが、異常は見つからない。帰り際に「一度、内科の先生にも診てもらったら」と勧められた。そのひと言が妙に心に引っかかった。
持病の狭心症で通院していたので、循環器科の診察時にその話をした。先生は「専門外ですが、念のためCTを撮ってみましょうか」とすぐに手配してくれた。CT撮影を終え、しばらくして診察室に入った。結果については何も説明がなく、「専門の病院へ行ってください。なるべく早いほうがいいですね」と言われ、これはただごとではないと思った。
その足で紹介された病院へ向かったところ、担当医は60代半ばのK先生。先ほどのCT画像を見てもらうと、「うーん」と言ったきり無言。私は、うすうす気がついていたので、自分から「がんですか?」と聞いた。先生は、私に画像を見せながら「これが腎臓で、ここに鶏卵くらいの塊がある。これが、がんです」と説明してくださった。自分から聞いたので、気分的には楽だった。「腎臓は左右に1個ずつあるから、一つ取っても大丈夫」と、先生は事もなげに言った。
それから数日通って、血液検査や再度のCT撮影、いろいろな検査を経て、手術の日が決まった。
左腎臓全摘出手術は、3時間ほどで無事に終了した。術後の経過も良く、1週間ほどで退院することができた。あとで分かったことだが、K先生は熟練者で、わざわざ他県から診察を受けに来る人がいるほどの腕前だったのである。
振り返ると、事は良いほうへ良いほうへと進んだ。これは親神様・教祖のお導きに相違ないと確信した。
私たちの身体は親神様からのかりものであり、周囲のあらゆる物はお与えであると教えられる。
腎臓はいったん悪くなると、元に戻らないという。その働きは、血液を濾過し、老廃物や塩分を尿として排泄する。血液は人の誠真実と聞いたことがある。私は、人の誠真実を真摯に受けとめて感謝する心が足りなかったと反省した。
お道は「感謝、慎み、たすけあい」をキーワードに、陽気ぐらし世界を目指している。私はその意味合いを、今回の節を通じて強く心に刻むとともに、一層の成人を誓って、親神様にこう申し上げた。
「長い間、左腎臓をお貸しくださり、ありがとうございました。命ある限り、陽気ぐらしを目指して歩んでまいります。それまで右腎臓は、もう少しお借りいたします」
(要旨)