心定めを行動に移すとき – 視点
新規感染者が過去最多となった新型コロナウイルスの感染拡大の第5波が収束に向かい、各地の新規感染者も急減している。
減少の理由について専門家は、普段会わない人との接触の機会が増える夏休みが終わったことや、ワクチン接種が進んだこと、人流の抑制がなされたことなど複数の要因を挙げているが、完全な解明には至っておらず目下、分析が進められている。
ともあれ9月30日に「緊急事態宣言」が解除され、10月に入って感染状況が落ち着きを見せたことで、人々の心にゆとりが生まれたことや、世の中がにぎわいを取り戻しつつあることは結構なことだと素直に喜び、ご守護に御礼申し上げたい。しかし、感染症が流行しやすい冬になれば、第6波となる感染の再拡大も心配される。これまで堅持してきた基本的な感染対策を緩めることなく、日常生活を営むことが肝心だ。
気を緩めることなく、という意味では、私たちの信仰生活にも同じことが言える。
おふでさきに「みのうちにとのよな事をしたとても やまいでわない月日ていりや」(十四号21)「せかいにハこれらとゆうているけれど 月日さんねんしらす事なり」(同22)とあるように、感染症による身上や世界の事情は神の「手入れ」であり、「残念」の思召の現れとお示しいただいている。そして続くお歌には、「これからハ心しいかりいれかへて よふきづくめの心なるよふ」(同24)とお説きくだされている。この感染者急減は、「よふきづくめ」の心定めを、いよいよ行動に移すときが来たと捉えたい。
一方、おさしづには「身の内かりもの/\と聞いた時だけ。一日経ち十日経ち言うて居る間に、二十日経ち遂には忘れる」(明治24年11月15日)とお示しいただく。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということにならないように、これまでの「負」の経験を「喜び」の台にして、ご恩報じに、お望みくださる互いたすけ合いの陽気ぐらしの実行に、それぞれ動きだしたい。
(諸井)