身上に込められたメッセージを求めて – 修養科の四季
第958期 石田葵さん 30歳・大阪市・隆初分教会所属
3年前、助産師として働き始めました。出産という生命誕生の瞬間に立ち会う仕事にやりがいを感じる半面、心身への負担が大きいこともあり、同僚や職場環境に対して、事あるごとに不足を募らせていました。
昨年7月、体調不良が続いたため病院を受診したところ、子宮筋腫と診断されました。約半年間の投薬治療の後、手術を受けることになったのです。
「なぜ、こんなことに……」
落ち込む日が続きましたが、次第に、不足しがちだった私に原因があるのではと考えるようになりました。自身の心づかいを猛省した私は、教会長である親の勧めもあり、今年3月に仕事をやめて、修養科を志願する決意をしました。
自らの癖性分を自覚し
修養生活では、それまでの心づかいを改め、「どんな中も喜ばせてもらう」「自分よりも人のたすかりを願う」を目標にしました。また、組係に任命されたことから、クラスの仲間への声かけを心がけるとともに、身上に悩む人のたすかりを願って、授業前にお願いづとめを勤めることを心定めしました。
ある日、祖父が出直す間際に語った「いんねんを自覚して、人をたすけなあかんで」という言葉を、ふと思い出しました。そして、その意味をあらためて思案する中で、「この身上には親神様からのメッセージが込められているのでは」と自分なりに悟ったのです。以来、喜ぶ回数が一層増えていき、自ら進んでおたすけに動くようになりました。
しかし、2カ月目の中ごろ、それまで薬で抑えていた下腹部の張りが、ひと目で分かるほどに。親神様の思いが分からなくなり、「こんな状況でも喜ばなければならないのか」と思うと、つらさのあまり涙が溢れました。
そんななか、落ち込んでいる私を励ましてくれたのは、修養科の先生や仲間たちでした。担任の先生は優しく諭してくださり、クラスの仲間は毎日おさづけを取り次いでくれました。周囲の人たちのこうした支えもあって、折れかけていた心は次第に立ち直っていきました。
また、別のクラスを担当していた先生が、親身に相談に乗ってくださいました。先生は、話をじっくり聴いたうえで、私の癖性分について諭され、「正しいことがすべてではなく、時には間違っていても、相手の欠点も含め、ありのままを受けとめて通ることができたら、きっとご守護いただけますよ」と優しくおっしゃいました。この言葉が、神意を探り続けていた私の心にスッと治まったのです。
それからというもの、不足を一切感じなくなったどころか、「身上をお与えいただいたからこそ、ここまで成人させていただけた。おかげで、素晴らしい先生や素敵な仲間と出会うことができたんだ」と感謝の念が湧いてきました。
◇
先日の手術で、無事に腫瘍を取り除くことができました。今回の身上を通じて、身の周りに起きるすべてのことに親神様の思いが込められていること。そして、私の心をたすけるためにお見せくださっていることを実感しました。今後、新しい仕事に就いたら、何ごとにも喜びを見いだして、日々を過ごしていきたいと思います。