親心こもるお手作り玩具 – おやのぬくみ
教祖が現身をもってお働きくださっていたころ、教祖は、お屋敷へやって来た信者に対して、手ずから拵えられた品をお与えになっていた。お渡しになった詳しい経緯は不明であることがほとんどだが、桝井家が頂いた犬のぬいぐるみについては、当家の記録に、そのときのやりとりが記されている。
伊豆七条村(現・大和郡山市)の桝井伊三郎は、ある日、お屋敷へ参った折、教祖から嫁をもらうよう勧められた。伊三郎は、いま嫁をもらったら子供ができておたすけに専心できないため、まだ早うございますと、ご遠慮申し上げたところ、
「伊三郎さん、私を見てみや。私には夫もある、子供もある。夫にも仕えて来た。子供も育てて来た。それにおまはんにできぬはずがないやろうがな」との仰せである。
なるほどと得心した伊三郎は、その場でお話を受け、明治9年、教祖の仲立ちによって西尾ナラギク(結婚後おさめと改名)と夫婦になった。
翌年、おさめがお屋敷へ来て、をびや許しを頂いた際に、教祖がお腹の子の名前をつけてやろうとおっしゃった。
「松は栄える、松は男や。安う待っておるで、それで名を安松とつけておきなさいや」
果たして、生まれてきたのは男の子である。教祖の仰せには、長男・安松は、これより十年前に出直した伊三郎の父の生まれ替わりとのことであった。
後日、教祖は朝早くお目覚めになり、「今日は安さんが帰ってくるのや」と仰せになって、針を取られた。そして、当時お側に仕えていた者に、こんなもの出来たがな、と言ってお見せになったのは、一枚の黒い布で出来た玩具の犬である。すると図らずも、そこへ伊三郎夫婦が、安松の初参りにお屋敷へ帰ってきたのである。
このとき教祖は、これを持って行きやと、安松にぬいぐるみをお渡しになったうえで、
「神様が隅とれ隅とれとおっしゃったので、そのお言葉通りにしたら、こんなものが出来たのや」
と仰せになったという。
◇
桝井家によれば、このぬいぐるみは純日本犬ではなく、舶来の唐犬を模したものだという。これについて、伊三郎の四男・孝四郎は「その時分には、めったに唐犬なんかは、見ようと思っても居なかったものであった」と述べている。
教祖が件の品について仰せになったお言葉を思い合わせると、をやのありがたさと子供可愛い親心が、ひときわ胸に迫ってくる。