天理時報2024年4月3日号3面
【50歳での挑戦に夫らが冷ややか – 人生相談】Q. 50歳にして、かねて目指していた図書館司書の資格を取りたいと思うようになりました。しかし、夫や義母は「いまさら資格を取っても、働けるの?」と冷ややかで、理解を得られないことにやるせなさを感じています。諦めたほうがいいのでしょうか。(50代女性)A. 人生100年時代といわれる現在、あなたはまだ50歳。いままで子育てをはじめ、家族のために懸命に人生を歩んでこられたことと思います。残された人生をいかに生きるか。当然、有意義な時間を過ごしたいものですね。あなたのように夢を持つことは大切だと思います。相談の文面からは、諦めきれないとの思いがひしひしと伝わってきます。後悔しないためにも熱意を込めて相談を重ねることをお勧めします。今後の通り方には、周囲の理解を得ることが何よりも大切です。夢を実現するためには、夫や義母の手助けが欠かせません。相手の考えを尊重することも、家族円満には大事です。「みかぐらうた」では「ふたりのこゝろををさめいよ なにかのことをもあらはれる」(四下り目二ッ)と教えられています。漠然とではなく、金銭面も含めた今後の人生設計を立て、再度、夫婦で話し合いをしてみましょう。子供や義母にも納得してもらえるよう努力を重ねてみてください。私自身、難しい問題だと思ったら、まず親神様・教祖にお願いして事を進めています。あなたの家族にとって一番いい方向へ導いてくださることを願っています。どうか相談の結果を受け入れて、家族円満の人生を歩んでください。回答者:平澤勇一(磐城平大教会長・福島教区長), 【立教187年3月月次祭 – 春の雨のなか】足元の悪い中も、晴れやかな表情で神殿へ向かう帰参者たち(3月26日)教会本部の3月月次祭は26日、中山大亮様祭主のもと、本部神殿で執り行われた。大亮様は祭文の中で、陽気ぐらしへとお連れ通りくださる親神様のご慈愛にお礼申し上げたうえで、「私どもをはじめ教会長、ようぼく一同は、持ち場、立場の勤めに一層の努力を重ね、教祖の道具衆として、にをいがけ・おたすけに邁進し、丹精に心を尽くして、旬に相応しい成人をお促しくだされる親心にお応えさせていただく決心でございます」と奏上された。この後、かぐら・てをどりが陽気に勤められた。朝から春の雨が降り続いたこの日の親里。春休みとあって、神苑では子供連れの帰参者も多く見られた。おつとめの後、神殿講話に立った吉川万寿彦本部員は、「心明るく」をテーマに話を進めた。その中で、身上・事情のお手入れには「親神様の深い思惑、思召がある」として、親神様が自分を必要としてくださっているという認識を持ち、にをいがけ・おたすけに心を向けて通ることで、心の掃除をしてもらえると話した。先人の遺徳しのび – 春季霊祭翌27日には、春季霊祭が執り行われた。神殿では、祭文奏上に続いて「よろづよ八首」と十二下りのてをどりが勤められた。続く「祖霊殿の儀」では、大亮様が祭文を奏上された。その中で、道のうえに真実を尽くされた先人の遺徳をたたえたうえで、「教祖140年祭を目指して、成人の歩みを心勇んで進めさせていただけますよう」と、お導きを願われた。, 【「教祖誕生祭」の意義を思う – 視点】昨年5月にコロナの感染症法上の位置づけが「5類」になったことで、親里の諸行事もこの1年で徐々に以前の姿を取り戻しつつある。そして今月は、いよいよ教祖誕生祭が行われる。祭典後には、縮小を余儀なくされていた「よろこびの大合唱」が再開されるとのことで喜ばしい。教祖誕生祭は、昭和8年10月に現在の教祖殿が竣工したことから、翌9年4月、教祖の136回目のご誕生日に勤められたのが始まりだ。最初の誕生祭を前に挨拶に立った松村吉太郎本部員は、これまで人類の母親、お互いの救いの親なる教祖のご誕生日に対して、今日まで記念すべき奉祝祭典のなかったことは、教祖に対してなんとも申し訳ないと述べたうえで、「本日の御誕生日を心からお祝い申し上げると共に、今日の御誕生日に新たに存命の御教祖を偲び教祖ひながたの道を肝に銘じて当時の熱烈なる信仰に立ち帰らねばならんと考えるのであります」と、誕生祭を勤める意義を闡明した。誕生祭には、教祖存命に対する実感と信念を堅固にする意味合いがあったのだ。ところで、先日ある講習会で教祖について講義をする機会があった。講義の終わりに受講者の感想を尋ねると、20代前半の方から「いままで教祖は空想の人物だと思っていました。教祖は本当に実在されていたのですね」と意外な言葉が返ってきた。理由を尋ねると、「教祖のことは漫画でしか知らなかったから」と。この答えに愕然とした。考えてみれば、いまの若い世代の周囲には、ネットの充実もあって、漫画、アニメ、映画、ドラマと、フィクションが溢れている。これらのメディアコンテンツは高い娯楽性が求められるので、歴史上の人物に対しても、あらゆる脚色を施した作品づくりがなされている。こうしたものに日常的に親しんでいる環境では、誤解してしまうのも無理からぬことだ。しかし、こういう時代だからこそ、毎年ご存命の教祖のご誕生日を皆で心からお祝い申し上げる誕生祭の意義は、より大きくなっていると感じる。(諸井)