天理時報2024年3月27日号3面
【開設70周年記念寮祭 -「布教の家」東京寮】「布教の家」東京寮(菅谷隆宏寮長)は2日、松村布教部長、土佐剛直・布教一課長を迎え、豊島区の教務支庁で「布教の家東京寮 開設70周年記念寮祭」を挙行。寮生・OBをはじめ、教区関係者、寮関係者ら70人が集まった。これは、寮開設70周年の節目を契機に、管内の教友が教祖140年祭へ向けて布教活動に邁進することを誓うもの。当日は参加者全員でおつとめを勤めた後、松村布教部長が記念講演。続いて懇親会が開かれ、寮生の布教生活を紹介するビデオ上映などが行われた。, 【開設40周年及び育成棟竣工式 – 「布教の家」埼玉寮】「教祖140年祭決起布教の家埼玉寮開設40周年及び育成棟竣工式」の席上、中田表統領が祝辞を述べた(3日、さいたま市の埼玉教務支庁で)「布教の家」埼玉寮(山夲英雅(やまもとひでまさ)寮長)は3月3日、中田善亮表統領、松村登美和布教部長を迎え、さいたま市の教務支庁で「教祖140年祭決起 布教の家埼玉寮開設40周年及び育成棟竣工式」を挙行。寮生・OBをはじめ、教区関係者、寮関係者ら270人が参集した。これは、教祖140年祭へ向かう三年千日の旬と寮開設40周年の節目が立て合ったことから、管内の教友が年祭へ向けて一手一つに活動を推し進める契機として開かれたもの。併せて、先ごろ普請が完了した新育成棟(寮建物)の竣工式が執り行われた。当日午後2時、教務支庁神殿でお礼のおつとめを勤めた後、中田表統領ら来賓が、新たに竣工した育成棟前でテープカット。続いて谷澤茂男・埼玉教区長(60歳・本芝房分教会長・埼玉県所沢市)らの案内を受けながら、館内設備を見て回った。この後、中田表統領が祝辞を述べたほか、谷澤教区長と山夲寮長がそれぞれあいさつした。(埼玉・福島代表社友情報提供), 【オンラインゲームにハマる母 – 人生相談】Q. 最近、母がオンラインゲームにハマり、家事以外の時間はゲームに没頭しています。父は「家事はしているのだから」と容認していますが、母との会話が減り、家族関係が希薄になっていると感じます。この先どうなってしまうのか不安です。(中学3年男子)A. お母さまのご様子、心配ですね。再度、家族で話し合い、お互いの意見を聴いて、ゲームについての取り決めをつくるのが一番いいと思います。また、その話し合いがうまく進まなかったり、ゲームに費やす時間が日常生活に差し支えたりする場合は、医療の助けを借りることも大切です。オンラインゲームの普及に伴って、ゲームへの依存が世界的な社会問題となり、WHO(世界保健機関)は治療の必要性を提唱しています。治療は、症状によって通院から入院までありますが、自分がゲーム依存に陥っている状況を知り、ゲーム以外の余暇を増やしていくことが主な内容です。そして、いろいろ試みても状況が良くならない場合は、あなたが教会への参拝を続けることをお勧めします。『稿本天理教教祖伝逸話篇』16「子供が親のために」をご参照ください。願う者の真実が天に届けば、人にできないことを神様はしてくださいます。最後になりましたが、長年務めさせていただいた「人生相談」の回答は、これが最後となります。これまで機会をお与えいただいた道友社、お読みいただいた皆さまに、心から感謝いたします。ありがとうございました。回答者:堀 健一(家庭支援プログラムアドバイザー・晃栄理布教所長), 【無宗教人口の増加に思う – 視点】世界の宗教動向に関するある調査で、キリスト教、イスラム教に続き、「無宗教」の人口が3番目に多いことが分かった。日本は、確立された宗教を信仰しない「無宗教」の人が、中国に次いで2番目に多いという。また、日本の無宗教者の3分の2が「宗教の教えに疑問を持っている」「神を信じていない」と答えたが、「宇宙には高次の力や霊的な力が存在する」という考えを否定したのは無宗教者のうち29%。さらに、人間の尊厳や存在意義など霊魂や精神世界を重んじる「スピリチュアリティ」を宗教思想と切り離して考える人も多く、無宗教者の63%が「自然界を超えたスピリチュアルな現象がある」と考えている。以上の調査から分かることは、「無宗教」というカテゴリーには、実は「何らかの精神的な信仰を持つ者」が多数含まれているということだ。無宗教者でも、人生の重大事において神社で願い事をしたり、占いを信じたり、験を担いだり、悪いことをしたらバチが当たると考えたりといった心性を持つことが少なくない。特定の宗教団体に属するという意味ではなく、神や仏以外にも、この世界には科学では計り知れない力や不思議が存在し、人間はその影響下にあると認めることが宗教性を有するということではないか。そう定義すると、大半の人は、それについて否定的ではないだろうと推察する。一方で、無宗教とは、科学的に証明できない不思議や奇跡を疑うという半面もあるだろう。「疑う」と「信じる」は反目する心根である。私たちは、「お道を歩む」「お道を通る」という表現で信仰や信心を語ることが多い。教祖のひながたの道をたどる努力を、自らの“人生の道”において積み重ねるという意味が、そこにあると思う。いまゝてハしんぢつ神がゆてあれどうちからしてもうたがうはかりこの事ハあくどいほともゆうてをくこれうたがへばまことこふくハい(おふでさき十三号62、64)その疑いの心を払拭するには、たすけの実を挙げて、それを目の当たりにすることだ。私たちがそれぞれの生活圏でたすけの輪を広げ、ご守護を頂くために真実を尽くしていく――。その地道な歩みが、無宗教者とされる兄弟姉妹への“架け橋”になるのだ。(永尾)