天理時報2023年8月23日号3面
【「女の子がよかった」と嘆く嫁 – 人生相談】Q. 息子夫婦が第一子を授かり、お腹の子供は男の子だと分かりました。ところが、嫁は「男の子は乱暴で騒がしい」との思い込みからか、「可愛がれそうにない。女の子がよかった」と嘆いています。嫁の考えを改めさせたいですが。(60代女性)A. 親の何げないひと言が子供の心を深く傷つけることがあります。この発言も子供には聞かせたくない言葉ですね。しかし、いまお嫁さんの本音が聞けたことは、これからの育児について、皆で考える良い機会になったと思います。お嫁さんの思い込みともいうべき考えは、例外を示せば、ある程度は変わるでしょう。しかし問題は、もっと深いところにある気がします。もしかすると、お嫁さんは「育児は母親の仕事」「赤ちゃんは自分が育てるもの」と思っているのではないでしょうか。そのため、「もし男の子だったら私の手に負えない」「育てる自信がない」と不安を募らせ、怯えているのかもしれません。それなら、お嫁さんの「育児不安」を少しでも軽くしてあげることが最も大事です。「産む性」は女性に特有ですが、「育てる性」は男女ともにあります。「育児は夫婦二人で行うもの」と、息子さん夫婦の心にしっかりと治めてもらいましょう。息子さんは父親として、いまから何をするのか、周りの人たちはどの程度支えるのか、具体的に相談しましょう。お嫁さんが初めてのお産や育児を少しでも安心と期待で迎えられるよう、周囲の精神的・社会的支援で支えてあげてください。回答者:古市俊郎(福之泉分教会長・公認心理師), 【人生の節目に思召を感じて – この旬に一歩成人】大西明美さん60歳・石岐分教会教人・岐阜県各務原市教祖140年祭に向けて、自分にできるにをいがけをさせてもらおうと、3月からリーフレット配りを地域で続けています。きっかけは、長年勤めた看護師の仕事を、この春に定年退職したこと。人生の節目と三年千日の初年が重なったことに親神様の思召を感じ、少しでも成人させていただくために努力しようと思ったのです。こうした考えに至った背景には、12年前、主人が脳内出血で倒れるという大節をお見せいただいたことがあります。当時、仕事の忙しさを理由に教会から足が遠のいていた私は、この節を機に教会へ足を運ぶようになりました。久しぶりに会った会長さんは「ほこりを払うことを意識し、少しずつ成人させていただく努力を」と、お諭しくださいました。このとき、これまでの自分勝手な心づかいを反省し、周りの人に、たすけの手を差し伸べさせていただこうと心を定めました。後遺症による顔面のマヒで呂律が回らなくなった主人は、その後、薄紙を剥ぐようにご守護いただきました。また気短な性格も、だんだん穏やかになっていったのです。主人の身上を通じて、私たち夫婦を成人させてやろうと、親神様がお導きくださったと実感しました。こうして教会の月次祭に欠かさず参拝し、自分にできるにをいがけ・おたすけに努めるようになりました。今後の目標は、にをいがけを通じて出会った方を一人でも多く、おぢばへお連れすること。少しでもお道の信仰を伝えられるよう、まずは自ら進んで教えを求め、実践していきたいと思います。, 【にをいがけドリル – カードでにをいがけ】, 【「グラフ天理504号」ダウンロードできます】, 【「水の味」を求めて – 視点】この夏も厳しい残暑が続いている。こうしたときにふと頭に浮かぶのが、「諭達第四号」にも引用されている「水を飲めば水の味がする」というお言葉だ。これは、教祖が貧に落ち切る道中で述べられたお言葉である。『稿本天理教教祖伝』では、貧に落ち切ることを通して教えてくださった事柄について次のように記されている。「物を施して執着を去れば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れると、自ら陽気ぐらしへの道が開ける」この意味するところについて、中山正善・二代真柱様は、風呂の譬えをもって明快に示されている。すなわち、風呂に入るには服を脱ぐ必要がある。脱がずに入ることもできるが、気持ちよくなろうと思ったら裸にならなければならない。それと同じで、物を施して裸になるのは、目的ではなく手段である。陽気ぐらしをする手段として、教祖は裸になられたのである、と。二代真柱様が風呂の譬えを用いられたところに、深い味わいを感じる。先人には風呂にまつわる逸話が数多く残されているからだ。たとえば、増井りん先生は「お風呂はナア、ぬくみ水気の御守護頂くのやで」と述べられ、浴槽につかると、まずおやしきのほうへ向かい、目を閉じてしばらく祈念してから、浴槽の湯を一口飲まれたと伝わる。また、高井猶吉先生は、風邪のときでも「神様に温めてもらうんや」とおっしゃって、必ず風呂に入られたという。「火と水は一の神」と教えられるが、親神様のご守護を象徴的に表したものが風呂であろう。しかしながら、そうしたご守護も、服を着たまま、いわば心に執着があっては感じることができない。欲と高慢を捨て、心が裸になるところに「かりもの」の有り難さがありありと迫ってくる。二代真柱様は、このことを教えてくださったと思案する。「水の味」を求めて、毎日を元気いっぱいに通らせていただきたい。(山澤)