天理時報2023年4月19日号6面
【元気いっぱい新入園児の笑顔 – フォトニュース】春の親里に新入園児の笑顔――。天理幼稚園(伊藤加寿子園長)は10日、入園式を挙行し、36人が入園した。保護者に手を引かれながら、「にゅうえんおめでとう」と書かれた手作りメダルを胸にさげた新入園児が次々と会場へ。新入園児たちは、初めて会うクラスメートや、広い学び舎に興味津々で、式の最中も目をキョロキョロ。年中・年長園児たちに「また一緒に遊ぼうね 」と歓迎の言葉をかけられると、うれしそうにはにかんでいた。式を終えた園児たちは疲れた様子も見せず、「幼稚園、頑張る 」と元気いっぱい。保護者と共に笑顔で帰途についた。, 【大恩と小恩 – まんまる】四コマ漫画のもとになった「恩師からのメッセージ」(ラジオ天理教の時間)は、下記URLから聴けます。https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/radio/r1217/, 【逆境が人を育てる – 日本史コンシェルジュ】世界を見渡すと、古代から現代まで戦乱の歴史に溢れています。では逆に、平和な時代はどのくらいあったのでしょうか。西洋で語り継がれているのは、「パックス・ロマーナ」。紀元前27年から約200年間、ローマ帝国の繁栄により平和が続いたといわれています。200年続く平和というのは、世界史では紀元前まで遡ってもほとんど見当たらない、まさに奇跡なのですね。その奇跡ともいえるパックス・ロマーナを超える長い平和を、一国の歴史の中で三度も経験した国があります。それが、私たちの国・日本です。三度とは、縄文期、平安時代、そして江戸時代。1世紀以上続いた戦国の世を終わらせ、265年に及ぶ長期安定政権を築くことで長い泰平をもたらしたのは、いま話題の徳川家康です。家康の人生は、幼少期から苦労の連続でした。岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれたものの、3歳のころ両親が離婚し、母親と離れ離れに。さらに6歳から人質として今川義元のもとに預けられます。やがて成長し、戦に駆り出されるようになりますが、義元は激戦が予想されるところに、人質である家康の軍を投入しました。当然、家康に付き従ってきた松平の軍勢からは、大きな犠牲が出ます。そのたびに、松平の家臣団は、人質という境遇にいつまでも甘んじることなく、「この若君のもと、もう一度、松平の旗を立てよう」と心を一つにしました。この逆境が、家臣団の結束力を育んだのです。そして激戦を経験すれば当然、軍は強くなっていきます。つまり逆境の中で精神的にまとまり、武力も強化されていきました。これは、家康の天下獲りの重要な布石になっていきます。そんな松平の軍勢が大敗北を喫したのが、家康31歳のとき、三方ヶ原で起こった武田信玄との合戦でした。命からがら浜松城に逃げ帰った家康は、このときの情けない姿を肖像画に描かせ、慢心を戒めるために終生持ち続けたといわれています。やはり、逆境が人を育てるのですね。ところで徳川家康の旗印と言えば、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」。一見すると「穢れたこの世を捨て、極楽浄土を求める」と読み取れるのですが、家康は「穢れたこの世を極楽浄土にする」との思いで旗印にしたといわれています。試練に耐え、逆境を力に変えた家臣団が、「乱世を終わらせ、極楽浄土を創る」という家康の志を支え、世界に類を見ない泰平の世を実現したのです。白駒妃登美, 【県のスポーツ振興に寄与 – 秋田の伊藤健さん】伊藤健さん(78歳・小貫分教会ようぼく・横手市)は先ごろ、長年にわたり県のバスケットボールの振興に貢献したことが称えられ、秋田県スポーツ協会から「スポーツ賞・功労賞」を贈られた。学生時代はバスケットボール部に所属し、卒業後は秋田県内の高校で教員として勤めた。昭和43年から同競技の日本公認審判員として県内外で活躍した。平成7年に審判員を引退した後も、教え子が指導する高校のバスケットボールチームで顧問を務めるなど、半世紀を超えてバスケットボールの指導や振興に努めてきた。また伊藤さんは、これまで県バスケットボール協会理事、常任理事、副会長などの要職を歴任。現在も同協会の顧問を務めている。「大学時代の恩師に憧れ、私もあの人のように、との思いで指導に当たってきた。親神様のご守護に感謝しながら、これからもひのきしんの精神でスポーツの発展に貢献していきたい」と伊藤さんは語った。(秋田・稲毛代表社友情報提供)