天理時報2022年6月29日号8面
【第17話 誰も見たことがなかった世界 – ふたり】少年は店に入ってきたときから、小さなゲーム端末を操作している。両手の親指でめまぐるしくボタンを押しつづけて片時も休むことがない。小学三年生というから、さとしよりも二つほど下になる。「いつもこうなんです」。母親は困ったように言った。「無理に取り上げようとすると泣き叫んで抵抗するんです」保育園のときから、みんなと一緒に座っていることができなかった。いつも一人で遊び、何も感じていない様子だった。小学校では授業に参加するのが難しくなった。基本的な指示には従うものの、感情表現がほとんどなく、まわりで起こっていることを気にかけない。誰かが身体に触れると、全身の力をふりしぼって叫びつづける。「一つだけ集中できるのがゲームなんです」。そう言って、母親は大きなため息をついた。「狙撃ゲームっていうんですか、倒した相手の数やスピードを競うゲームらしいんですけど」カンは医者やカウンセラーではないから、何かアドバイスをするわけではない。もともと無口なので、黙って話を聞いているだけだ。分析も解釈も価値判断もしない。そんな様子に、かえって相手は安心するのかもしれない。若い母親は重い口を開いて悩みを打ち明けはじめた。「きっと居心地がいいんだろうと思います。高得点をあげて注目されることもあるらしいので。でも将来のことを思うと心配になります。あんなに没入していると、そのうちゲームから出てこられなくなるんじゃないかって」人間がいろいろなものを発明するのも考えものだと思う。ゲーム機がなければ、あの少年だって自分の居場所を見つけただろう。本のなかとか、自然のなかとか……そう考えると、のぶ代さんの「えほんの郷」は前途多難かもしれない。ゲームに夢中になっている子どもを、絵本の世界に連れてくるのは難しいだろう。虫を捕ったり魚を釣ったりするのも、そのうちゲームのなかでやるようになるかもしれない。〈夜明け前の海で波を待っていたときのことです。海の向こうから、朝が近づいてくるのが感じられました。海面が輝きはじめます。でも太陽はなかなか顔を出してくれません。どのくらい時間が経ったでしょう。ふと何かが顔をかすめたようでした。誰かが耳元で言葉にならない言葉をささやいて通りすぎたみたいでした。つぎの瞬間、それは姿を現しました。ぼくが発見するまで、誰も見たことがなかった世界。海の上や自然のなかでは、そんなことがよく起こります。何かを発見したとき、そこは前とは少しだけ違ったところになっています。〉, 【すべて人の手で行う「田植え」- おやさと瑞穂の記 その3】6月16日、天理小学校5年生76人が田植えを体験したおやしきの北東には、教祖のご在世当時の風景を彷彿させる豊かな田園風景が広がり、親神様にお供えするお米が昔ながらの方法で栽培されている。前回の「苗代づくり」に続いて、今回は「田植え」を紹介する。4月30日に苗代に蒔かれた種籾は、6月初旬には15センチほどの緑鮮やかな苗に成長した。その間、本田では田んぼをつくるための「田起こし」が行われていた。実は、稲の刈り取りを終えた冬の間、この田では、親神様にお供えする大麦や冬野菜が育てられ、空いている余地にはレンゲソウの種が蒔かれる。この麦や野菜の収穫後に残った堆肥や残渣が肥料となり、レンゲソウが緑肥となって稲の成長をたすけるので、稲を育てるときには、これといった肥料を施す必要がないのだという。田んぼづくりは、まず田をトラクターで耕して、水を引き、畦切り、畦こね、畦塗といった防水作業を行ったうえ、代かきをして平らに均し、水位を調整すれば完成。いよいよ田植えに取りかかる。ここでの田植えは、昔と同じやり方で、すべて人の手で行うので時間と労力を要する。しかし、その分、管内学生や本部勤務者、またおやさとふしん青年会ひのきしん隊や少年会、直属ひのきしんなど連日、大勢の人たちが代わる代わるひのきしんに駆けつけて行うので、とても賑やかだ。6月16日には天理小学校5年生の児童たちが田植えを体験、子供たちの元気な声が響いた。苗は3本を束ね1株にして植える苗は3本を束ねて1株にして植える。ここでは、機械で行う一般的な田植えと比べて、苗と苗の間隔を1.5倍ほど広く取っている。このことについて、教会本部管財部の担当者・森本孝一さんは「これは病気対策です。稲は成長すると扇状に分蘖して広がるので、間隔が狭いと稲同士ぶつかり合って風通しが悪くなり、これが病気の原因となります。ここでのお米づくりは農薬を使わないので、こうした病気から守るための工夫を凝らして育てています」と語った。森本さんの説明によると、植えられた苗は、だいたい1株で10本から20本の茎に分蘖し、その1本の茎の穂先に100粒ほどのお米が実るので、1株の稲から、およそ1,000粒以上のお米ができるという。その話を聞いて『稿本天理教教祖伝逸話篇』の「30 一粒万倍」のお話を思い出した。教祖は、あるとき一粒の籾種を持って、飯降伊蔵に向かい、「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍と言うのやで。三年目には、大和一国に蒔く程になるで」と、仰せられた。森本さんは毎年、この一粒万倍のご守護を直に目にし、親神様のお働きを一層感じていると語る。田んぼ一面に植えられた苗は、これから夏にかけて急速に成長していくが、無事に秋の実りを得るためには、丹精のさまざまな労苦が必要となる。教祖が仰せになる「真実の種」も、蒔くだけでなく、懇ろに丹精してこそ実を頂けるのだと思いを新たにした。(文=諸井道隆)下記URLから、「おやさと瑞穂の記」の過去記事を見ることができますhttps://doyusha.jp/jiho-plus/pdf/oyasato_mizuho.pdf