天理時報2022年6月1日号4面
【腹の立つ理は、めんめん我が心にあるのやで 桝井おさめ – 信心への扉】嫁入り前から母に連れられ、お屋敷へ参拝していたおさめ。『稿本天理教教祖伝逸話篇』三五「赤衣」によれば、明治7年、教祖が初めて赤衣をお召しになるに当たり、着物を仕立てる御用をつとめた。この道の信心の第一は、一名一人がみずからの心を治めることにあります。ひとりの心の誠真実によって一家が治まり、それは土地所の、やがては世界中の治まりとなると教えられます。そこで、みずからの心を治めるという、そのポイントを、桝井おさめという先人にもとめたいとおもいます。自分のものとおもえば桝井おさめ(もとの西尾ナラギク、安政4・1857年〜大正15・1926年)は、大和国添上郡伊豆七条村(奈良県大和郡山市伊豆七条町)に生まれました。母の西尾ゆきは『稿本天理教教祖伝』にも名前がみられる古い信仰者です。明治7年、18歳のナラギクは持病をご守護いただいたよろこびから、おやしきに帰り、お手伝いをしていました。やがて、おいとましようとすると糸つむぎの用事を出してくださったので、一生懸命つむいでいると、おやさまがお越しになってナラギクの肩をポンとおたたきになり、そのできあがったのを三度おいただきになり、「ナラギクさん、こんな時分には物のほしがる最中であるのに、あんたはまあ、若いのに、神妙に働いて下されますなあ」「先になったら、難儀しようと思たとて難儀出来んのやで。今、しっかり働いて置きなされや」とおっしゃいました。また、このとき「自分のものとおもえば自分のもの、自分のものであるから、楽しんで。先は結構になるのやで」と噛んでふくめるようにきかせてくださったとも伝えられています。なにごとも我がこととしてつとめるところに、徳はみな我が身につけてくださり、先では結構にご守護くださる。そのお言葉は生涯忘れられないものとして心に残されました。明治9年、おやさまは、桝井伊三郎との縁談をまとめてくださいました。約束の日に、おやしきへ、桝井、西尾の親が本人とともに、重箱に出来合いのご馳走を持って帰るのです。結婚は家と家との、という時代にあって、道に親族はない、みな、きょうだい、といわれ、そのときおやしきに居合わせていた信者が参列して、いとも簡単に結婚の盃をおやさまの前で交わしていただきました。おやさまは二人の手を、ご自分の右と左にお握りになって、「これで目出度くおさまつたから」と、おさめと名づけてくださいました。おさめと夫・伊三郎が生まれ育った伊豆七条村(大和郡山市伊豆七条町)は、おぢばの北西、現在の郡山インターチェンジの辺りにある。集落の周りに、のどかな田園風景が広がる人の田に水を同じ伊豆七条村に生まれた夫の伊三郎(嘉永3・1850年〜明治43・1910年)は、母キクとともに、15歳のころからおやしきへ通っています。元治元年、危篤の母をみかねて、片道50町(約5.5キロ)の道のりを歩いて一日に三度おやしきへ帰り、おやさまに願いました。ならんなか、親のために運ぶ心の真実を神様はお受けとりくださいました。明治7年には、かんろだいのさづけをいただいています。伊三郎とともに、おさめは、神様のお話を、しっかりそのまま心に守って通りました。その具体的な様子は『稿本天理教教祖伝逸話篇』にうかがうことができます。それらは、息子である桝井孝四郎(明治27・1894年〜昭和43・1968年)によって伝承されていますが、そのいくつかを、逸話篇や『みかぐらうた語り艸』(道友社)などからあげてみましょう。明治16年、大和国一円は大干ばつにみまわれ、大騒ぎになります。伊三郎は、伊豆七条村の人びとが田に出て水掻いをするなか、我が家の田は放って、おやしきの田の世話をしていました。そこへ、隣近所がやかましいので帰宅してほしいと使いがきます。我が家の田はどうなってもよいと、それを断ったのですが、よく考えてみると、じぶんは神様の結構がわかっているが、隣近所に不足をさせては申し訳ない。そこで帰宅して、おさめとともに、夜更けまで田の水掻いをしました。しかし、じぶんの田には一滴の水もいれず、人の田にばかり水をいれてまわられたのです。それでも、おさめは、神様におねがいしたご神水を茶碗にいれて、藁の穂先でわが田の周辺に打ち水をしてまわりました。後日、おさめが我が田を見に行くと、水を引いていれたあとのように、田一面に水の光が浮き上がっていました。そのことを伊三郎につげると、「それが天理やがな」とニッコリして、つぎのように話しました。人のために働くと、我が身は損をするようにおもう。けれども、人のために働くのは、池の水を向こうへ押すようなもの、水はすぐに横から返る。神様は我が身に徳をお返しくださるのや。反対に、人のことよりも、我が身のため、我欲のために働くのは、ちょうど池の水をかきよせるようなもの。いくらかきよせても、池の中に水の山はできようまい。水は横から、みな逃げていく。水が逃げていくのやない、我が身の徳が逃げていくのや。身上は神様のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。着物や食べ物があるから徳があるとおもうのは、たいへんな思い違いや。人のために働いてちょうだいする徳は金銭では買えない、生涯末代の徳を神様がくださるのや。この田の水掻いの話を、息子の孝四郎は、おさめから何度もきかされたといいます。神様は見抜き見通しおさめが、桝井キク母からきいたと伝える神様のお話があります。おやさまは、あるとき、「人の腹というものは、腹綿というて、やわらかい腹をかしてあるのやで、腹の立つような腹をかしてあるのやないで、腹の立つ理は、みな、めんめん我が心にあるのやで」と、キクにきかせてくださいました。人は、じぶんにとって好ましくないことに出合うとカチンと腹が立つ。けれども、腹が立つのは、みな一名一人、我が心で腹を立てているといわれるのです。じっさい、おやさまは、「伊三郎さん、あんたは、外ではなかなかやさしい人付き合いの良い人であるが、我が家にかえって、女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは、今後決してせんように」と、伊三郎にさとされています。このとき、女房がおやさまに告げ口したのではないかとおもうと、やはり腹が立ちましたが、そんなはずはない、神様は見抜き見通しである。これは腹立ちの心にたいするおさとしと気づき、その場で「今後は一切腹を立てません」と固く心を定めたところ、家に帰っても、すこしも腹が立たない、心に腹の立つようなことが映ってこない。それから伊三郎は、それはそれはやさしい人になられたと、おさめは語り伝えています。神様のお話(「こふき話」説話体十六年本桝井本)に、この世は月日親神のからだ。天地抱き合わせの世界に、人間はその懐住まいをしている。それゆえ、人間のすることに、月日親神の知らぬことはない。人間はみな神の子。身の内の守護は神のかしものゆえに、他人というはさらにない。みな、きょうだい――とあります。神様の世界にあっては外も内もなく、すべて見抜き見通しで、一名一人の心しだいにご守護をくださいます。人間は身の内に神様のご守護をいただき、等しくいのちを与えられています。自他を隔てる我欲はすてて、たがいにたすけ合う心になってほしいといわれるのです。おさめが我が心に治めて素朴に語る話は、おやさまからきかせていただく神様のお話の神髄を、いきいきと伝えています。教祖お手製の犬のぬいぐるみ。長男・安松が、お屋敷へ初参りしたときに頂いたもの狭い道が続く伊豆七条町。所々に残る白壁の建物から、往時の雰囲気が伝わってくる一年とすこしにわたって、おやさまに導かれた女性というテーマのもとに、おやさまと道の先人との接点をみつめてきました。おやさまを心の底からお慕いし、そのたすけ一条のお心を心として力強く通られた先人の姿は、この道の信心の源泉を指し示してくださるようにおもいます。(終)文・伊橋幸江 天理教校本科研究課程講師