天理時報2022年5月18日号8面
【「苗代の理」の理合いを味わい – おやさと瑞穂の記 その2】おやしきの北東には、教祖ご在世当時の風景を彷彿させる自然豊かな田園風景が広がっている。ここでは毎年、親神様にお供えするお米が、昔ながらの方法で栽培されている。第2回では、「苗代」づくりの様子を紹介する。教祖殿の北東に作られた苗代に種籾をまく留学生たち4月16日、おぢばでは夕づとめ後に「はえでづとめ」が勤められた。おつとめには、今年の稲作に使われる種籾がお供えされ、これをお下げいただいて、おやさとのお米作りはスタートする。当日は、教会本部管財部の担当者・森本孝一さん(54歳)ら勤務者も一緒に参拝し、稲の良き芽生えと、その後の稲作が順調にご守護いただけるように祈願した。ひと晩水に浸けておいた種籾およそどんな農作も種をまいて苗を作ることから始まる。稲作では、この苗を育てる場所のことを昔から「苗代」と呼んでいる。もともと「代」という語には、「水田として開かれた湿地」という意味がある。親神様の教えでは、「いざなみのみこと」の守護の理として「女雛型・苗代の理」と教えられ、苗代は信仰的にも重要な意味を持つ。田植えが機械化された現代農業では、「育苗箱」を用いるのがほとんどだが、ここでは昔ながらの方法が採られている。この苗代づくりについて、森本さんから説明を聞いた。「苗代づくりの準備として、まず荒田をトラクターで耕して2週間くらい置き、川から水を引き込んで、畔の土をこねて『畔塗』という防水作業をします。その後、代かきをして、また2週間ほど置いてから、種をまく場所である畝を作ります」「代かき」は、固まっている土を水でこねて柔らかい土にする大事な作業だ。「だいたい長さ20メートル、幅1メートル60センチくらいの畝を五つ作ります。その畝の上面を、トンボとかローラーなどの道具で平らに均して、そこに種をまきます」苗代では、まず真っ平らな地にするのが大切なポイントだという。「ひと晩水に浸けておいた種籾を1畝に約3升分ずつ手で直にまいて、その上に、籾殻で作った燻炭と堆肥を混ぜたものをかけて種籾を隠します。その上に不織布のシートを被せます。これは保温や、鳥から守るためです。1週間もすると小さな芽が出てくるので、その芽を大切に育てていきます」燻炭と堆肥には、生育に必要な微量の養分が含まれている。このように、丁寧に保温や保護を施す様子は、なるほど母親の胎内で育まれる胎児のようで、「女雛型・苗代の理」と教えられる理合いが分かる気がした。そして、どうか皆、無事に育ってほしいと祈る気持ちになった。◆苗代の準備がひと通り整った4月30日、種まきが行われた。この日は、天理教語学院おやさとふせこみ科の海外留学生がひのきしんに駆けつけ、種まきを手伝った。天理教語学院では、実習として田植えと稲刈りを20年前から実施しているが、苗代づくりは今回3回目。参加した留学生からは「いつも食べているお米が作られる過程を知って勉強になった。これからは、感謝してご飯を食べたい」「教祖ご在世当時の田園風景を想像して、味わい深い体験ができた」との感想が聞かれた。苗は、ここで15センチほどのしっかりとした苗になるまで育てられ、6月初旬には田植えが始まる。(文=諸井道隆)「おやさと瑞穂の記 その1」はこちら, 【第13話 ゲームのルール – ふたり】〈どんなゲームにもルールがあります。ルールを知らないと、そのゲームで遊ぶことはできません。チェスや将棋で、でたらめに駒を動かしたって、面白くありませんよね。サッカーのルールがわからなくて、飛んできたボールを手で持って走りだしたら、ゲームから外れているとみなされてしまいます。ゲームのルールを学ぶところが学校です。その多くは、社会というゲームに参加するために必要なものです。でも、なかにはルールを学ぶのが苦手な子がいます。ぼくもそんな子どもの一人でした。〉ツツたち一家が街を去ったあとも、フウちゃんとサユリさんは毎年夏になるとホテルの仕事でやって来て、ひと月ほど滞在した。中学生になったツツは、いろんな事情で東京に残った。やがてホテルは閉館し、フウちゃんとサユリさんの仕事もなくなった。ハハは、ときどき電話でサユリさんと話をしていたが、それもしだいに間遠になっていくようだった。ツツの高校進学を機に、一家はアメリカへ移住することになった。ロサンゼルスはフウちゃんとサユリさんが知り合った街だ。友だちもいるし仕事もある。彼らがアメリカで暮らすことにした、いちばんの理由はツツのことだった。中学生になってから、彼女は学校がすっかり嫌いになってしまった。中学校は小学校よりもずっと居心地が悪かった。自分がのけ者にされているのを感じた。肌の色や髪の毛の様子が違うことに加えて、英語が誰より上手に喋れることも、友だちが彼女を避ける理由の一つらしかった。そのうちにツツは、まったく学校へ行かなくなった。かわりに自宅で通信教育というのを受けた。もう日本の学校はこりごりだ。中学を卒業したあとはアメリカの高校で学ぶ。彼女の決意は固かった。一人ででも留学するつもりだった。娘がその気なら、と両親はアメリカへの移住をきめた。〈とくに算数という、数を使ったゲームが全然理解できませんでした。友だちはすぐに数を使いこなせるようになりましたが、ぼくはいくら考えても、なぜ17+8=25なのかわかりませんでした。みんながやっているゲームに参加できないので、授業を抜け出して校庭の隅に隠れたりしていました。そして自分も参加できるゲームはないだろうか、と考えたものでした。勉強をしなかったわけでも、怠けていたわけでもありません。自分ではかなりがんばっていたつもりでした。でもわからないものは、やっぱりわかりません。そのころ、ぼくと同じように授業を抜け出してくる女の子がいました。外国での暮らしが長かった彼女は、日本語という言葉のゲームが苦手だったようです。ツツという名前の女の子のことを、いまでもときどき思い出します。〉, 【第12話 命を輝かせて – ふたり】前話のあらすじカンは、のぶ代さんと保苅青年の3人でコーヒーを飲んでいる。話題は、のぶ代さんが進める「えほんの郷」計画に。どうやら、子供たちの居場所づくりを目指しているらしい。第11話 「えほんの郷」計画 その2春になって暗い土のなかから出てきたばかりのモグラのように、新太は生きる喜びを全身にみなぎらせている。一時もじっとしていられないのだ。カンを家来のように引き連れて、農場のあちらこちらを歩きまわる。どうして小鳥はあんなふうにさえずるのか、なぜ花は白やピンクに咲くのか、木は緑の葉をいっぱいに茂らせるのか。新太の毎日は発見に満ちている。おかげで彼は省吾さんのところの豚のようにすくすく育っている。前にもお話ししたように、省吾さんの豚の飼い方はいろいろな点で変わっている。新しく買い入れた子豚を、省吾さんは小屋のなかで三日ほど絶食させる。それから土の上に放してやると、腹を空かせた豚は食べ物を探しまわる。地面に生えている草も食べるし、土を掘り返して木の根っこみたいなものも食べる。こんなものも食べられる、あんなものも食べられると、いろんなものを食べているうちに、土のなかにいる小さな生き物などが腸のなかに取り込まれて、子豚はどんどん健康になっていく。新太もまた絶食明けの子豚のように食べ物を探しまわる。彼の心はいつも新しい食べ物を求めている。たくさんの動物や植物が、発見されるのを待っている。見つけるたびに、その生き物が備えている性質や不思議さが彼を喜ばせる。そうしてどんどん健康になっていく。誰もが新太のような子ども時代を送ることができれば、どんなにいいだろう。身近に見ているカンは、そんなことを考える。みんな命を輝かせて生きていけたらいいのにと。省吾さんによると、畜舎などで飼われる豚は、身動きもできないほど狭いところで暮らしている。下はコンクリートで固められているので、土の上を歩いたこともないし、草など食べたこともない。そうして育てられた豚は、ストレスのために大人になるころには肉が不味くなる。だから大人になる前に肉にしてしまう。ひどい話だ。あの子は、父親の暴力が原因で言葉が出なくなった少年のことを考えている。暴力を振るう父親も、振るわれる母親も、毎日それを見ている子どもも、狭いスペースで育てられる動物みたいなものだ。せめて子どもだけでも、別の環境で生活させることはできないだろうか。でも、それは難しいことだ。一時的にはなんとかなっても、長くはつづけられない。わたしはカンに、そういう厄介ごとにかかわってほしくない。あの子自身が、あれでなかなか大変な人生を送っているのだから。, 【ひのきしんデー会場ルポ – 北海道・小樽支部】“北国”の公園で90年地域活動の集大成に「デー」が始まった90年前から、公園の清掃を続けてきた小樽支部の教友たち(小樽公園で)「久しぶりですね。元気でしたか?」。全国的に雨となるなか、晴れ間が広がった北海道小樽市の小樽公園では、コロナ禍の影響で顔を合わせる機会の少なかった教友が再会の喜びを分かち合っていた。◇小樽支部(荒川善孝支部長)では、長年にをいがけやひのきしんなどを定期的に行うとともに、「デー」がスタートした昭和7年から、地域活動の集大成として同公園の清掃を続けている。昭和50年には支部内に「小樽天理教館」を設置し、“教友の集いの場”として活用。「全教一斉にをいがけデー」では、同館を拠点に約200人の教友が布教活動に勤しむ。また、48年前から「こどもおぢばがえり団参」を実施。鼓笛隊も結成し、少年会活動に力を入れている。支部内で生まれ育った加藤久枝さん(63歳・花園分教会ようぼく)は、退職を機に自宅近くのバス停でごみ拾いを続けている。「少年会員のころから支部のひのきしんに参加する中で、ごみ拾いの習慣が身に付いた」と話す。憩いの場をきれいに明治26年に開設された小樽公園は、市民の憩いの場として親しまれるとともに、5月後半には市の花であるツツジが咲き誇り、多くの観光客が訪れる。公園を管理する市の担当者は「天理教の小樽支部の皆さんが長年、清掃してくださって大変ありがたい」と謝辞を述べる。午前9時半、気温11度と寒さが残るなか、136人の教友が参集。熊手やほうきなどを手に落ち葉を拾い集めた。約70年にわたって同公園での「デー」に参加している斎藤武さん(91歳・小樽分教会教人)は、家族4世代でひのきしんに励む。神名流しなどの支部活動に欠かさず参加している斎藤さんは「これまで大きな病気やけががなかったからこそ、にをいがけやひのきしんを続けることができる。今日も教友たちが集まって、勇んでひのきしんに取り組めたことがありがたい」と喜びを語る。10時半ごろ、用意していた約200枚のごみ袋が、拾い集めた落ち葉でいっぱいに。また、5年前から実施している献血にも30人の教友が協力した。荒川支部長(69歳・板山分教会長)は「長年の支部活動の積み重ねがあったからこそ、コロナ下の『ひのきしんデー』に大勢の教友が集まることができたと思う。例年よりも落ち葉の量が多かったこともあって、やりがいのある一日になった」と話した。春の“北国”で喜びの汗を流した小樽支部の教友たちは、笑顔で帰路に就いた。文=杉田祥太郎写真=佐藤秀春