天理時報2022年5月11日号8面
ひのきしんデー会場ルポ北海道・小樽支部〝北国〟の公園で90年地域活動の集大成に「久しぶりですね。元気でしたか?」。全国的に雨となるなか、晴れ間が広がった北海道小樽市の小樽公園では、コロナ禍の影響で顔を合わせる機会の少なかった教友が再会の喜びを分かち合っていた。小樽支部(荒川善孝支部長)では、長年にをいがけやひのきしんなどを定期的に行うとともに、「デー」がスタートした昭和7年から、地域活動の集大成として同公園の清掃を続けている。昭和50年には支部内に「小樽天理教館」を設置し、〝教友の集いの場”として活用。「全教一斉にをいがけデー」では、同館を拠点に約30人の教友が布教活動に勤しむ。また、4年前から「こどもおぢばがえり団参」を実施。鼓笛隊も結成し、少年会活動に力を入れている。支部内で生まれ育った加藤久枝さん(68歳・花園分教会ようぼく)は、退職を機に自宅近くのバス停でごみ拾いを続けている。「少年会員のころから支部のひのきしんに参加する中で、ごみ拾いの習慣が身に付いた」と話す。憩いの場をきれいに明治26年に開設された小樽公園は、市民の憩いの場として親しまれるとともに、5月後半には市の花であるツツジが咲き誇り、多くの観光客が訪れる。公園を管理する市の担当者は「天理教の小樽支部の皆さんが長年、清掃してくださって大変ありがたい」と謝辞を述べる。午前9時半、気温11度と寒さが残るなか、1人の教友が参集。熊手やほうきなどを手に落ち葉を拾い集めた。約70年にわたって同公園での「デー」に参加している斎藤武さん(1歳・小樽分教会教人)は、家族4世代でひのきしんに励む。神名流しなどの支部活動に欠かさず参加している斎藤さんは「これまで大きな病気やけががなかったからこそ、にをいがけやひのきしんを続けることができる。今日も教友たちが集まって、勇んでひのきしんに取り組めたことがありがたい」と喜びを語る。10時半ごろ、用意していた約300枚のごみ袋が、拾い集めた落ち葉でいっぱいに。また、5年前から実施している献血にも30人の教友が協力した。荒川支部長(6歳・板山分教会長)は「長年の支部活動の積み重ねがあったからこそ、コロナ下の『ひのきしんデー』に大勢の教友が集まることができたと思う。例年よりも落ち葉の量が多かったこともあって、やりがいのある一日になった」と話した。春の北国〟で喜びの汗を流した小樽支部の教友たちは、笑顔で帰路に就いた。文=杉田祥太郎写真=佐藤秀春「デー」が始まった90年前から、公園の清掃を続けてきた小樽支部の教友たち(小樽公園で)文芸連載小説ふたり【第2部】波のきらめきに/片山恭一画/リン前話のあらすじカンは、のぶ代さんと保苅青年の3人でコーヒーを飲んでいる。話題は、のぶ代さんが進める「えほんの郷」計画に。どうやら、子供たちの居場所づくりを目指しているらしい。第12話命を輝かせて春になって暗い土のなかから出てきたばかりのモグラのように、新太は生きる喜びを全身にみなぎらせている。一時もじっとしていられないのだ。カンを家来のように引き連れて、農場のあちらこちらを歩きまわる。どうして小鳥はあんなふうにさえずるのか、なぜ花は白やピンクに咲くのか、木は緑の葉をいっぱいに茂らせるのか。新太の毎日は発見に満ちている。おかげで彼は省吾さんのところの豚のようにすくすく育っている。前にもお話ししたように、省吾さんの豚の飼い方はいろいろな点で変わっている。新しく買い入れた子豚を、省吾さんは小屋のなかで三日ほど絶食させる。それから土の上に放してやると、腹を空かせた豚は食べ物を探しまわる。地面に生えている草も食べるし、土を掘り返して木の根っこみたいなものも食べる。こんなものも食べられる、あんなものも食べられると、いろんなものを食べているうちに、土のなかにいる小さな生き物などが腸のなかに取り込まれて、子豚はどんどん健康になっていく。新太もまた絶食明けの子豚のように食べ物を探しまわる。彼の心はいつも新しい食べ物を求めている。たくさんの動物や植物が、発見されるのを待っている。見つけるたびに、その生き物が備えている性質や不思議さが彼を喜ばせる。そうしてどんどん健康になっていく。誰もが新太のような子ども時代を送ることができれば、どんなにいいだろう。身近に見ているカンは、そんなことを考える。みんな命を輝かせて生きていけたらいいのにと。省吾さんによると、畜舎などで飼われる豚は、身動きもできないほど狭いところで暮らしている。下はコンクリートで固められているので、土の上を歩いたこともないし、草など食べたこともない。そうして育てられた豚は、ストレスのために大人になるころには肉が不味くなる。だから大人になる前に肉にしてしまう。ひどい話だ。あの子は、父親の暴力が原因で言葉が出なくなった少年のことを考えている。暴力を振るう父親も、振るわれる母親も、毎日それを見ている子どもも、狭いスペースで育てられる動物みたいなものだ。せめて子どもだけでも、別の環境で生活させることはできないだろうか。でも、それは難しいことだ。一時的にはなんとかなっても、長くはつづけられない。わたしはカンに、そういう厄介ごとにかかわってほしくない。あの子自身が、あれで大変な人生を送っているのだから。文芸小説「ふたり」のバックナンバーはこちらから